自意識過剰が自分を不自由にする—高嶋政宏著『変態紳士』[下]-(松沢呉一)
「孤独に行動し、思考することで「私」でいられる—高嶋政宏著『変態紳士』[中]」の続きです。
自意識過剰が自分を不自由にする
一ヶ月ほど前のこと。私がマスクをしていないのを見た私より少し歳上と思われる女性、つまりは初老の女性が、こう言いました。
「マスクをしていないとジロジロ見られないですか。犬の散歩をする時に、マスクをし忘れたことがあって、ジロジロと見られたんですよ。自意識過剰ですかね」
「おきれいだからですよ」と言おうとしたのですが、そんな言葉で喜ぶような歳でもないのでやめました。若い頃はきれいだったと思いますけどね。
「それは自意識過剰ですよ」とも言おうと思ったのですが、ズバリすぎるので、それも言いませんでした。
「見られているかもしれないですが、気にならないですよ」とだけ言ったのですが、たいていの場合、「見られているのではないか」と気にしているからそう思えるだけです。
彼女は遠回しに「マスクをした方がいいですよ」と注進したかったのかもしれないですが、この前に私は「ちょっと出歩くだけだったらマスクはしないけど、必要と思える時はする」という説明をしています。
彼女はマスクもフェイスシールドもしていた上にアクリル板が間にあって、距離もありましたので、感染はあり得ません(これがどういう状況かは説明が面倒なので省略)。だから話しかけてきたのであって、本来であればこんな会話をするような場面ではないので、私はマスクをしていなかったのです。
おそらく彼女としては、その言葉通り、マスクをしていない時に見られることが気にならないかどうかを聞きたかったのだろうと思われて、私は正確にそれに答えました。
私は道ですれ違う人を電柱や看板としか思っていないのかもしれない。このことは前にも書いたかもしれないですが、道で声をかけられると過剰に動揺してオドオドします。電柱や看板が話しかけてきたら驚くべ。
そのわりにこっちからは平気で声をかけますけど、電柱や看板だと思っているからズケズケと声をかけられるのです。
自分を不自由にしているのは他人の目を意識しすぎている自分です。これについては「同調圧力を作り出しているのは自分自身—YouTubeで見る脇毛[15]」などに書いてきた通り。同調圧力の強い社会は、他人の目を気にして他人と同じでいようとする人の多い社会であって、同調圧力なんて存在しない場面でも同調圧力を感じてしまう人も少なくないのだと思います。
その証拠にはこの日本で生きている高嶋政宏を見ろ(笑)。なんも同調圧力なんて感じてないですよ。
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個人主義的夫婦
高嶋政宏は『変態紳士』にこう書いています。
僕はかねがね「所詮は誰もあなたのことを見てませんよ」「どうしてそんなに自意識過剰なの?」と思ってきました。
私もよく似たようなフレーズを書いています。「自分が思っているほど、他人は自分を気にしていない」と。
上の女性も「自意識過剰」という言葉を使っていて、「自分は自意識過剰かもしれない」と自覚していたので救いがあります。
この文章は、人の目を気にして等身大以上の自分を見せようとすることを諌める文脈で出てくるのですが、よく見せようとするのはまだいいかもしれず、それより自分の判断がないまま周りに合わせようとする人たちに私はイラつきます。同じようなもんか。
高嶋政宏がそうなれたのは、自身が変態であることを受け入れたためです。これによって人間関係にも変化が及んだことを語っています。
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