ナチズムの記憶・記憶のナチズム—山本秀行著『ナチズムの記憶』[4](最終回)-(松沢呉一)
「歓喜力行団(KdF)とフォルクスワーゲンで夢を見たドイツ国民—山本秀行著『ナチズムの記憶』[3]」の続きです。
ナチスはすべてうまくやっていたと語る人々
戦後になっても少なからぬ人が「ナチスはうまくやっていた」「ナチスの時代はよかった」と懐かしむ「ナチスの時代」はもっぱら戦争前です。つまりは1933年から1939年まで。ケルレもホーホラルマルクも空襲は受けていません。ベルリン戦のような銃撃戦も間近では見ていない。それでも、志願するなり召集されるなりした先で戦死するのはいたでしょうし、夢はすべて吹き飛んで、物不足に悩まされますから、いい思い出にはならない。
以下はケルレ村の住民の言葉。
一九三九年までは、すべてがうまくいっていた。戦争にならないかぎりは、すべて良しというわけだ。だれもが生活でき、仕事にありついていて、満足していた。ごらん、だれそれはもう自転車を買ったとか、だれそれはまだもっていないとか。住宅の建築がおこなわれた。この上手にいる人たち、労働者たちは、当時みな家を建てた。住宅は土地代もふくめて六,七〇〇〇マルクから一万マルクかかった。彼らは、いつもこういっていた。「仕事があって、金がかせげるかぎり、おれたちは満足している」と。戦争になると、みんなの意見は後退していった。(満足感は)消えてしまった。すべてがだめになった。ほとんどだれもがこういった。彼(ヒトラー)は、戦争なんかはじめないで、そのままでいてくれればよかったのにと。
結局のところ、人は過去を振り返った時に、思い出すのは「若かった肉体と精神」に接点がある「生活圏」のことであり、その時の政治がどうしたかなんてことと思い出はなかなか直結しない。
ここまでは納得できるのですが、この先の記述で唸りました。
ホーホラルマルク町の証言でも、ケルレ村の証言でも、歓喜力行団の旅行に参加した話が出てきます。決して豊かとは言えないふたつの町村でも参加するくらい浸透していたことがわかります。しかも、ケルレでは、客船に乗って海外まで行ったとの証言が複数出てきます。
このインタビューを手がけたクルト・ヴァグナーによると、村民の半数がそう言うので、彼は奇異に思って問いなおすと、海外ではなく、「はじめて長期の休暇旅行にゆけるようになった」と内容が後退し、村からわずかに海外まで行ったのがいたという話になります。これとて本当かどうかわからないのですが、実際に行った人の土産話、パンフや絵葉書で見る客船によるノルウェー、イタリア、ギリシャなどへの旅行のイメージを自分の体験かのように語っている人が大半だったのだろうと推測できます。
1934年から1939年までに客船に乗って海外旅行ができたのは75万人。その多くは富裕層で、労働者は10万人程度。ナチスはブルジョアを否定して、労働者でもブルジョアが享受している車の所有、家の所有、海外旅行を楽しめるようにすると豪語していたわけですが、現実にはこの船旅は手が届かないものであり、いかに安いとは言え、労働者の月の収入の3分の2に当たるような旅行はなかなかできず、休みもとれなかったのです。
同世代という共同体の中で経験を共有し、自分の自慢話として語る。これもドイツに限らないことではありましょう。最前線に行ったことのない兵隊が敵地に攻め入った体験を語ったり、対空砲に触ったことのない兵隊が敵機を撃ち落とした体験を語ったり。
※「Deutschland – KdF Kraft durch Freude viel; Broschüre + Postkarten + Fotos – 1937」
旅行で丸め込まれていく左翼
どこにでもそういう人はいますけど、こうも多くのケルレの村人がこの話を語るのは、ナチスの宣伝が強烈だったからのようです。
それでも少なくない人びとが国内旅行は体験していて、元共産党員や元社会党員も楽しかった思い出として語っています。
しかし、歓喜力行団の旅行は、ただのサービスのわけがなくて、解体した労働組合ではできないことを実現したとナチスは宣伝しました。党員優先のはずですが、むしろ党員になりたがらないような人びとを取り込むために使われて、ケルレ村でもも労働組合や社会民主党の元メンバーを紛れ込ませていました。そういった層に「労働組合も社会民主党もできなかっただろ」とナチスの正しさを見せるためです。
旅行自体は楽しいわけですから、ナチスの力の前に敗北感に襲われて屈服したのもいるでしょう。人間はそういうもんです。
そうじゃない人もいましょうけど、歳をとると昔を思い出します。思い出が嫌いな私も最近はふと思い出していることがあります。先がないことを知ると振り返るしかない。私はイヤなことをよく思い出します。知り合いが死んだこととか。死んだことだけを思い出すのではなく、生きていたことを思い出すわけですが、亡くなった時はさすがにその人のことを思い返すために記憶が強化されているためでしょう。
あとは旅のことも時々思い出します。非日常だからですし、撮った写真を眺めたりもする。
ナチスドイツ時代は旅行の意味合いが今以上に非日常性が強い。農夫にせよ鉱夫にせよ、純然たる遊びの旅行をすることは少なく、だからこそ、歓喜力行団は「年に一回は家族旅行ができるように」と謳っていました。今の比較ではなく、これが記憶に残りました。
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