「女は守ってやらないと生きていけない弱い存在」という頑迷な思い込み—動物のバイアス・女子供のバイアス[下]-(松沢呉一)
「ペットを飼いたい欲望は他者を支配したい欲望と紙一重—動物のバイアス・女子供のバイアス[中]」の続きです。
なぜ男が女を蹴ると「止めなきゃ」と思うのか
数日前のこと。まだ電車はあるけれど、深夜になりかけた時間に居酒屋の前を通りかかったら、居酒屋から出てきたと思われる若者たちが10人ほど路上でたむろしてました。10代かもしれない。10代がこんな遅くまで酒を飲んでいてはいかんな。とっととパートナーを決めてラブホにしけこむといい。この辺はラブホがわかりにくいところにあるので、聞いてくれれば教えてやるぞ。
そしたら、その中の男子が怒鳴りながら、女子に向かって突進し、回し蹴りをしました。じゃれているのかと思ったのですが、本気です。足は幸い彼女のバックに当たりました。
「まずい、止めなきゃ」と私が踏み出す前に、一緒にいた仲間たちが間に入ったのですが、蹴られた女子も負けておらず、男に向かって何か怒鳴り、彼女も止められてました。
2人は引き離されて、蹴られた女子は何人かに連れられて駅に向かい、その中の一人の女子が大きな声で、「もうあんなの呼ばないから」と半ば捨て台詞のようなことを蹴られた女子に言い、引き離された男子は路肩に座らせられてました。
酒が入るとセックスをしがちですが、喧嘩もするので気をつけなければいけません。
※この写真も前に使ったかもしれないけれど、台湾の野良猫。韓国の野良猫ほどではないですが、不敵な顔つきです。
「女子供バイアス」に思いは至る
その場から離れながら考えました。私は中学生や高校生が川原で決闘していても、煎餅を食いながら鑑賞できるのに、なぜ今の場面では「止めなきゃ」とすぐさま反応しそうになったのかなと。
間違いなくこれは「女子供バイアス」です。大人が子どもを蹴っていたら「止めなきゃ」と思います。人間が犬を蹴っていても「止めなきゃ」と思います。小学生同士が殴り合いをしていたら止めるかもしれないけれど、中学生以上の男子同士だったら止めない。女子同士でも止めない。男女が口喧嘩していても止めない。しかし、男が女を蹴っていたり、殴っていたりしたら「止めなきゃ」と思う。
「男が女に手を出してはいけない」ってことですが、ああ見えて、蹴られた女子はテコンドー日本代表として東京オリンピックに出ているんですよ。反撃すると過剰防衛と見なされ、テコンドー界から追放されるため、懸命に自分を押さえていましたが、本気でやればあんなちょろい男は瞬殺ですよ。
んなことはないとしても、彼女はひるまず向かっていこうとしているように見えましたから、弱々しい女子ではない。それでも女が男に蹴られていると、「止めなきゃ」と思うのは、私の中のバイアスです。バイアスがなければ煎餅食って見物していてもよかったのです。煎餅は持ってなかったですけど。
文脈としてそうは書きづらかったですが、ネオナチを襲撃していて捕まったドイツのアンティファ・グループのリーダーと目されているリナ・Eに対して、「こいつ、カッコいいな」との思いがふつふつと湧いてきました。逮捕された中には30代のメンバーもいるのですが、年上の男たちを牽引してハンマーでネオナチの頭をかち割っていたと見られているのは20代の女子学生です。その行為を支持できないと私は言いながらも、天晴感があったことを否定できない。
これはこれでバイアスです。「女なのにそんなことをしてはいけない」と考える人たちとは違う方向で、その天晴感には「女なのに」が入っています。
このバイアスを自覚している分、私はマシ。
※上の猫の手前にもう一匹
(残り 2963文字/全文: 4492文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ