逃走しないではいられなかった精神科医—そうしないではいられない人々[5](最終回)-(松沢呉一)
「タバコを吸わないではいられない人々の特性—そうしないではいられない人々[4]」の続きです。
日原雄一氏からの献本
禁煙鬱のなか、特別にアクセスが多いわけではないのだけれど、禁煙ネタが面白かったと言ってくれる人が複数いたのが救いです。
その一人が日原雄一氏でした。存じ上げなかったのですが、精神科医です。この夏に出た『生き延びるための逃走術』を送ってくださり、そこに添えられていた文書によると、私の読者であり、「ビバノン」も読んでくれていて、「タバコは素晴らしい麻薬である」と題した回がとくによかったと言ってくれました。
この本は「トーキングヘッズ叢書」に掲載された20本の原稿をまとめたもので、本書のタイトルはそのうちの1本の原稿タイトルであり、このタイトルにストレートに合致するのは8ページしかないその原稿だけです。
精神科医が豊富な臨床体験を交えて、生きることの辛さから逃避した人々の心理を解析し、社会から逸脱したために治療が必要となってしまっただけのことで、実は彼らこそがもっとも勇敢に闘っている人たちなのだ、みたいな話を期待すると、完全に裏切られます。
逃走しているのは著者自身なのです。
不要不急と切り捨ててはいけない表現物
本書タイトルになった原稿を含めて、この本に掲載された原稿はすべて小説、漫画、テレビ、映画、落語などの表現物に対する批評、感想であったり、そこからインスパイアされたさまざまだったりを綴ったものです。筒井康隆、北杜夫、サド、澁澤龍彦、沼正三、水木しげる、古屋兎丸、山川直人など、私でも理解できる表現者もいるのですが、大半がショタもので、どちらかと言えば文章に込められた熱量も、ショタ以外よりショタの方に多く込められています。
私はまったくわからない世界。そこに向かう心情は少しわかるのですが、現にショタものの表現物はまるで見てきておらず、ひとつひとつの物語を丁寧に説明してくれるわけでもないので、正直ちんぷんかんぷんでした。
しかし、全体として、日原氏にとって、それらの表現物が生きる辛さを緩衝させるために必要だったことがよく伝わりました。行きたくないなあと思いながらも通っている大学病院での精神科医という表の顔を維持するために彼はそれらの表現物に向かって逃走している様を描いているのです。これは彼にとってのチックみたいなものです。それをまた表現するのも日原氏にとってチックみたいなものだとも思いました。
ちょうど「ン」という鼻の奥で鳴る音がチックだとわかったところだったものですから、日原氏もそうしないではいられなかったのだなと理解しました。
(残り 1662文字/全文: 2790文字)
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