パクリ騒動があると必ず出てくる「根拠なき擁護論」は誰のためにもならない—古塔つみのパクリに擁護の余地はない-(松沢呉一)
「古塔つみは自身の才能を正確に自覚してイラストを描いていればよかったのに—パクリのおかげで知ったギタリストGyoshi(ギョシ)が新しい学校のリーダーズとつながる面白さ」の続きです。
古塔つみバッシングに対する擁護論について
古塔つみについて、いろんなニュースサイトやブログを読んでいて、気になることがありました。擁護論です(パクった人を直接擁護するわけではなく、バッシングする側を批判するものを含めて、ここでは「擁護論」とまとめます)。
勝海麻衣についても、中身がまったくない擁護論を展開していた大学の教員とライターがいましたが、いつでもああいう人たちは出てきます。
「著作権法は親告罪なので、盗用された本人じゃないと文句を言う資格がない」みたいなことを言う人たちもよく出てきますが、この間違いは以前書いた通り。
佐野研二郎についてはあのエンブレムだけでは「わからない」と言うしかなかったのですが、他に盗用と言っていい例が複数出てきて、「オリンピックのエンブレムを担当するには相応しくない人物」という論が成立するに至ります。それでも擁護する人たちはいました。
「いつでもいる」ってことですし、バッシングが加熱すると、それに水を差したくなることは私もよくありますから、気持ちは理解できますが、勝海麻衣については証拠を晒しながら公開でパクリをやっていて、古塔つみは、確定的なパクリを連打しているので、擁護の余地はほとんどない。
「トレース(またはコピー)と模写とは違う」という指摘がなされていますが、その違いは「模写はやっていい/トレースやコピーはやってはいけない」ということではなくて、「どっちも条件が揃えばパクリであり、著作権侵害になり得るが、模写の場合は言い逃れの余地があるのに対して、トレースは言い逃れができない」って点にあります。
※ロッキング・オンのブランド「ロッキング・スター」のサイトを見たら、パクリじゃなくても欲しくなるようなものがなんもない。本や雑誌のイラストとしてはいい出来でも、着たいとは思わん。もともと雑誌としても、ロッキング・オンは好きじゃなくて、こんなところまで趣味の違いが出るもんです。
模写とトレースはパクったことの証拠能力の違い
身体改造をしない限り、手のひらをギターが貫通することはないように、人間の体には限界があって、その限界の中ではどうしたって似たポーズになることはあります。現実にたまたまそっくりになることがあるわけですから、模写をしていても、「たまたま似ただけ」と言い張ることが可能。ポーズだけでなく、衣装や顔形、髪型まで似ていれば怪しさは増すにせよ。
対して、線がきれいに重なり、服のシワまでが同じとなると、言い逃れはできない。
模写はグレーに留まりがちなのに対して、トレースやコピーはブラックで確定し得る点が大きく違う。
古塔つみは他人の作品を参考にしていることを自身が認めていますから、その上、線が重なればアウトです。このケースでは「トレパク」ということで騒がれているのは意味があります。
あとは本人が言っているように、引用やオマージュが成立する余地があるか否かですが、ないです。引用なら出典、著作者名の記載が必須ですし、作品に手を加えてはいけません。オマージュはその対象を多くの人が知ってないと成立しにくい。
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