寿司の源流である熟鮓が韓国経由で日本に伝わったことをもって「寿司は韓国起源」と主張するのは無理がありすぎ—文化盗用とパクリ[23]-(松沢呉一)
「寿司は韓国起源と主張する大学教授と韓国メディアの責任—文化盗用とパクリ[22]」の続きです。
キム・ヨンボク慶南大学教授の主張を検討する
前回登場したキム・ヨンボク慶南大学教授のブログを見ると、日本の寿司は朝鮮の熟鮓の模倣だと繰り返しています。「NEWSポストセブン」が書いている通りです。
これに少しでも耳を傾ける価値があるのか検討してみましょう。
今現在、我々が「寿司を食いに行く」という時の寿司は、握り寿司です。つまりは江戸前寿司。世の中にはいなり寿司を食って、「今日はたらふく寿司を食った」と言う人もいるかもしれないですが、極々稀。
その始まりは江戸時代の東京つまり江戸であることははっきりしています。華屋與兵衛が考案したと言われ、それが起源です。魚を使っていないいなり寿司が寿司であるのは酢飯を使用しているためで、酢飯こそが、寿司のアイデンティティです。
その前身として熟鮓が挙げられます。熟鮓があったからこその寿司であっても、現在の寿司とはまったくの別ものと言っていい食品。米(麹)と魚という組み合わせが近いだけで、熟鮓は発酵食品であり、それに対して、酢によって腐敗を防ぐのが江戸前寿司です。
発酵の手間がなく、しかもおいしく食べられる江戸前寿司の人気が高まり、熟鮓はより長期間保存を必要とする際の保存食としてのみ残っていくことになります。しかし、食中毒のリスクも高いことから、冷凍技術が発達した現在においては保存食としての評価にも疑問符がつきます。
それでも好きな人たちはいるでしょうが、消費量が減るのは当然。私は北海道育ちで、熟鮓の一種である飯鮨はたまに食卓に上がりましたが、あまり好きではありませんでした。麹の粒々が苦手。魚自体の味も握り寿司が圧勝ですよ。
食いたいと思わないですが、韓国にも熟鮓であるパプシッケがあることと日本の寿司は無関係であることは食べればわかりましょう。Wikipediaの「なれずし」の項にもこうあります。
「江戸時代に考案されて以降、手軽さから広く普及したにぎり寿司を中心とした早ずし(江戸前寿司)とは、歴史的な繋がりがある以外はまったく違う食品である。
そういうものです。
✴︎Wikipediaより飯鮨。これに近いものが韓国にあって、「それが日本に伝わって飯鮨になった」と主張するのなら、「はい、そうですね。これを作り出したのはタイですので、ともに敬意を払いましょう」って話。しかし、「寿司は我が国が日本に伝えた」と言い出したら、「寿司の完成になんの貢献もしてないくせに黙っとけ」と返すしかありません。
通過しただけで起源を主張する異常
熟鮓は弥生時代にタイ方面から渡ってきたとされていて、今も熟鮓は東南アジアから東アジアに広範に広がっています。中国から朝鮮半島を経過した可能性がありますが、そうだとしても、経由地でしかないですから、「熟鮓は韓国発祥」とは言えない。熟鮓はタイが発祥。
だからと言って、タイ人が「日本の寿司の起源はタイだ」と主張はしないでしょう。探してみたのですが、タイの熟鮓のような食い物は見つかりませんでした。今は食べられていないのかも。
しかし、魚類を発酵させる食い物は、東アジア、東南アジア、南アジア、中東、西アフリカ、ヨーロッパなど各地に分布しており、日本にもくさやや塩辛があります。これに米を加えるのは東南アジアから東アジアにかけてですけど、魚類を発酵させる食い物の起源なんて確定するのは難しい。「世界各地で自然発生した」とするのが妥当かと思います。
そんなもんの起源主張を根拠なくやるから馬鹿にされるのです。
寿司屋で金沢産のノドグロを食っていたら、隣の客が「それは群馬県産」と言い出します。「おめえんところは海がないくせに何言ってんだよ、貨物列車かトラックが通過しただけだろ。不味くなるから、黙っとけ」って話。
以上のように、キム・ヨンボク教授の言っていることは、「朝鮮は熟鮓が日本に伝わる経由地になったかもしれない」ってだけです。しかも、それと江戸前寿司は別物。
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