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新たな挑戦をはじめた二人のキャプテンの物語  名古屋D 中東泰斗 選手 「チームが苦しい時に正しい選択をして、チームに勢いを与えられるプレーをしたい」

昨シーズン、名古屋ダイヤモンドドルフィンズ(以下、名古屋D)をまとめ上げ、西地区優勝、チャンピオンシップ セミファイナルへと導いたキャプテンの須田侑太郎と副キャプテンの中東泰斗。

今シーズン、一人は名古屋Dに残り、一人は同じ愛知のシーホース三河に移籍した。別々の道で、新たな挑戦をはじめた二人のキャプテンの熱い胸の内を聞いた。

 

名古屋ダイヤモンドドルフィンズ 中東泰斗選手篇

―2023-24シーズンは名古屋Dというクラブにとって、ショーン・デニスヘッドコーチ体制3年間の集大成とも言える歴史的なシーズンとなりました。

中東泰斗選手(以下、中東):ショーンが来て最初の2021-22シーズンは開幕から連敗して、なかなかうまく行っていなかったのですが、徐々に噛み合い、勝ちが積み上がって、チャンピオンシップ(CS)に滑り込むことができました。ただ、CSに出たものの、ケガ人が多く、川崎ブレイブサンダース戦は日本人とアジア枠のレイ(・パークス)だけで戦うことになり、「全員揃っていれば」という思いで終わったシーズンでした。

シーズン目もケガ人が多く出て、7、8人で戦う試合が続いたのですが、僕とすっさん(須田侑太郎)を筆頭にチームが一つになって8連勝をすることができました。逆境に強く、外国籍選手がいなくても戦えることは自信になりましたが、このシーズンもCSのクォーターファイナルの壁を越えることはできませんでした。

年目の昨シーズンは日本人選手が全員契約を継続し、すっさんがキャプテン、僕が副キャプテンになって、「全員健康な状態で一丸となって戦えるチームを作ろう」とスタートしました。名古屋Dは練習がハードですが、トレーナー陣が疲労度を考慮してくれたのですごく助けられました。

開幕前にスコット(・エサトン)がケガをして大変だった中でも、開幕7連勝を達成してよいスタートを切れたと思っていたのですが、12月に敗と失速。天皇杯でも中心選手がいない宇都宮ブレックスにボロ負け(57-84)しました。そこが一番苦しい時期で、大きな転機になりました。

この頃、チームの雰囲気もめちゃくちゃよくなかったので、天皇杯が終わった後にキャプテンと副キャプテンで話そうということになって。コーチ陣の意見も聞きたかったので、ケニーさん(浜中謙トップアシスタント)を誘って、ケニーさんが(佐藤)卓磨も呼ぼうと言ったので、人で「この状況をどう乗り越えるか」「チームとしてこれからどんなことができるか」「何を変えていけばいいのか」を長い時間話し合いました。

さらにその翌日にチーム全体でミーティングをして。人で話し合ったことを共有しながら、みんなの思っていることを聞いて、全員で話し合いました。みんな考えていることは同じで、出てきた意見は「自分たちのバスケができていない」「ベクトルを自分たちに向けよう」というメンタル面がほとんどでした。

 

―あらためて「自分たちのバスケを信じてやり続けよう」とチーム全員で共有できたんですね。

中東:昨シーズンは「BE US」というスローガンを掲げて、いかに自分たちらしさを貫くかに重点を置いてきましたが、天皇杯敗戦後もすぐにはうまくいきませんでした。それでもすっさんを筆頭に「ブレずに自分たちのやりたいバスケをやろう」と言い続けて、1月くらいから徐々にそれが目に見える結果として表れるようになってきました。オール日本人で戦って勝った試合もありましたが、ケガ人がいても戦えるチーム作りという部分に関しては過去2シーズンの経験が活きて、どんな状況でも勝てるようになったのは大きかったです。そうした積み重ねが自信になって、さらによい結果を生んだと感じています。

 

―しかしながらそのまま順調にとはいかず、大事な終盤のファイティングイーグルス名古屋(以下、FE名古屋)戦、大阪エヴェッサ(以下、大阪)戦で連敗をしてしまいました。ただ、この連敗がもう一つの転機になったようにも思います。

中東:FE名古屋、大阪戦までは順調で、自分たちにも「普通にプレーすれば勝てるだろう」という気の緩みが多少あり、それがそのまま試合に出てしまったのではと思います。

でも連敗して、地区優勝が危うくなったことことが、自分たちに火をつけました。その時も話したのは「BE USとは何か」「一試合一試合を大切にして、相手や結果どうこうではなく自分たちのバスケを遂行することを強調しよう」ということで、「BE US」を貫き通せたことが地区優勝できた要因だと感じています。

 

―さらにそのままの勢いで、これまで超えられなかったCSクォーターファイナルの壁を越えました。

中東:クォーターファイナルのシーホース三河戦は、しっかりと自分たちのバスケットができて勝つことができたのですが、セミファイナルの広島ドラゴンフライズ戦は(齋藤)拓実がケガをして……、敗れました。でも、それ以前に、やっぱり第戦の第3Q点しか取れなかったことが全てだったかなと僕は考えています。「なんでもっとできなかったのかな」とセミファイナルが終わった後はすごく考えましたね。第1戦に勝っていたら、そのままストレートでファイナルに行けていたと思うので、すごく悔いが残るシーズンになりました。

 

―CSについて考えた中で、第1戦の3Qに何が起こったのか、どうすればよかったのか整理できましたか。

中東:ディフェンス面ではチェンジングをもっとすればよかったと感じました。オフェンス面では、外からのシュートが入っていない時にどのように中を攻めるのか。例えばジョシュ(ジョシュア・スミス)をもっと使うとか、そういうところが必要だったと思います。

点が取れていない中でみんなもどんどん焦って「どうしよう、どうしよう」と冷静さを失っていたので。その時は僕は試合に出ていなかったのですが、もう少し外から声をかけられたのではないかと悔いが残りました。

 

―個人的には副キャプテンを務め、ポイントガード(PG)を担う機会も増えました。変化が多いシーズンだったと思います。

中東:選手として、人として、すごく成長できたシーズンでした。でもプレー面では特に変化はなくて。正直PGだからどうということはあまり考えていません。自分にできることをやっているだけという感覚です。いろいろなことができるのは自分の強みなので。

ただ、学生時代も含めて、キャプテン・副キャプテンを務めたことがなかったので、最初は責任感を持った中でのプレーにすごく戸惑いました。チームをまとめる役割は自分には向いていないと思っていたし、やってほしいと言われたこともなかったので。

 

 

―梶山信吾GMから伺ったのですが、中東さんから「僕がキャプテンをやります」とおっしゃったとか。1年前を考えると、ものすごい心境の変化ですね。

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