限界突パ

西武・金子侑司が引退会見。「他球団に行くとか頭に本当に浮かばなかった。ライオンズファンに囲まれて辞めたかった」【記者会見全文】

ーーフリーランスの中島大輔と申します。現役生活お疲れ様でした。広島の秋山翔吾さんが金子さんってギラギラしているんだよって言ってたんですけど、それが印象に残ってまして、2018年に優勝した山賊打線は周りがみんな打ってる中で、金子さんは悔しい思いをした。その翌年、試合出場数を増やしたり、打率も上げたり2度目の盗塁王を取られたり、連覇に貢献されましたけど、前年に悔しい思いがあったとしたらそれを翌年にいい方向に発揮できたとか。そういう部分ってあったりしたんでしょうか?

金子 11年、本当に結果を出そうと思って必死にやってましたけど、たまたま、その年が良かったのかなぁと。優勝もできましたし、優勝してタイトルも取れましたし、本当にいい1年だったと思います。

ーーその年だけじゃなくて、ギラギラしていた。野球をうまくなりたいとかプロ野球に入られて、いろんな選手みたりして、ご自身の目標とかもあると思うんですけど、金子さんが野球を上手くなりたいという原動力ってのはどの辺が一番大きかったですか。

金子 やっぱり負けず嫌いはあったと思いますし、負けたくなかったっていうのはありましたし、自分が頑張れば喜んでくれる人たちがいるとか、両親の喜ぶ顔が見たいとか、友達たちが自分が活躍すれば周りにちょっと自慢できるかなとか、そういうのは浮かんでました。

 

ーーフリーライターです。12年間お疲れ様でした。先ほどもありましたけど、もっとできるって思い、周りもご自身も、もしかしたらあると思うんですが、引き際の美学というか、まだやれるっていう今の段階で引退を決断された。ご自身の中で例えば昔からまだ動けるうちにやめたかったとか、いろんなやり方の決断であると思うんですが、その中でこのタイミングを選んだっていうところで聞きたいんですが

金子 そうですね。そういうふうに一番は自分で決めて、元気なうちに辞めたいというふうには思ってはいました。ただ、こうやって、年を重ねて、プロ野球をやらせてもらって、もう1年やりたいなとか、もう1年やったら、もっともっとみんな喜んでくれるかなとか。そういう思いが芽生えたのも実際ありました。最後の最後は本当に難しかったですけど、もう1年本当に頑張ってしがみついてやるっていう選択肢もありましたし、でもやっぱり自分の最初にやっぱりちょっと思っていたところ、自分の思いを通したところではありますかね。

ーー今おっしゃった自分が思っていたところってやっぱりライオンズで辞めたいっていう思いもやっぱりあったりするんですか。

金子 それはありましたし。他球団に行くとか、そういうのはあんまり頭に本当に浮かばなくて、そのときに元気なままライオンズファンの皆さまに囲まれて辞めたいなと思いました。

ーー今日、佐々木朗希投手との対戦というか、最終打席かはわかんないですけれども、素晴らしい投手との対戦がラストっていうところ聞かせてください。

金子 ちょっと勘弁してくれよって感じなんですけど、本当に最後の試合で日本一と言われている佐々木選手とできるので、巡り合わせ的には逆に持ってるのかなと思うんで、1打席目から「はやっ」て言っちゃうかもしんないすけど、精一杯、自分のプレーをして、何とか1本打てたらと思います。

ーーフリーランスの氏原です。個人的には大学のときから取材させてもらってたんで、16年間お疲れ様でした。まずプロに入ったときに、ご自身でこうなりたい、ああなりたいとか、こうしたいと言うのがあったと思うんすよね。その中で思った以上にできた、これができたなっていう部分と、もうちょっとこれやりたかったなっていうことを教えてください。

金子 自分が思っていたより、思った以上に盗塁ができました。学生とか大学生とかもあまり走っていなかったと思うんで、本当に自分がこの世界で生き抜いていくために、いろんな方から教えてもらえましたし、その中で思ってた以上に走れたから思います。もうちょっとできたかなっていうのはもうちょっと打てたかなと思いますけど、自分の技術が思ったより上がらなかったし、自分の努力が足りなかったのもあるかもしれない。

ーー今年の開幕前にに、去年ちょっと苦しいブーイングがあって、なんで自分がっていう思いがあるっていう話をされて、今年1年間は何とか明るく元気にやりたいっておっしゃられた中でね、ファームに落ちてからも試合見させてもらって、プロだなと思って見てたんですけど、今季は開幕スタメンだった、いい場面のホームランも打ったし、この1年間っていうのは、金子選手にとってすごい1年間だったんじゃないかなと思うんですけど、実際振り返っていかがですか。

金子 そうですね。開幕スタメンで9月には現役引退発表ですからね。本当にそれだけでも激動の1年だったなと思いますけど、本当に開幕からチャンスをもらって、試合に出させてもらって、ちょっとやれたり、駄目だったり、いろいろありましたし、欲を言えばもう1回上がりたかったんですけど、すっきりした部分はあると言えばあるので、今年1年、確かに濃かったなと思います。

ーー最後に後輩へのメッセージも含めてですけど、スピードスターと言われる選手たちっていうのはスピードが武器でやっていくんですけど、30歳を超えていくとやっぱりご年齢の壁っていうのは必ず出てくると思うんですよね。そこから生きていく方法ってかなり苦労されたと思うんですけど、そういう今はスピードでやってる選手たちに長くやっていくためにこういうことやっとけよとか、こういうことが大事だよとか何かメッセージがあればお願いします。

金子 やっぱりケガが一番怖いと思うので、盗塁して足で活躍しようと思ってる選手はしっかり足のケアが大事かなと思います。自分も実際に肉離れしちゃって思うように走れないときがあったので、怪我には気をつけてやってほしいなと思います。今の後輩たちはまだ僕より足遅いんで、僕に負けてるようじゃ、辞めていく人間より遅いようじゃまだまだだと思うんで、もっと頑張って速くなって、バンバン走って欲しい。

ーーライオンズOBの高橋朋己です。金子選手、12年間お疲れ様でした。1年目開幕スタメンということで、日に日に激ヤセしていって熱中症で倒れていたのは今でも覚えてます。そんな金子選手がこうやってこういう舞台でしっかりと引退するということで僕は心強いですが、本当にお疲れ様でした。今会見の中で一言もなかったんですが、同期についての愛情よろしくお願いします。

金子 本当に1年目キャンプから同期のメンバーで、1軍のキャンプに行ったのは僕と増田さん。その増田さんは3日目に帰る、その後、1人残され、南郷でつらい日々を過ごしました。あのときは本当にありがとうございました。その後、同期みんなで増田さんも高橋さんも、水口さんも勇ちゃんもみんな1軍で試合出ましたし、一緒にプレーもできましたし、たくさんの思いでがあります。この同期メンバーで僕は本当に良かったと思ってますし、幸せでした。本当に落ち着いたら、みんなでワイワイやりたいと思いますし、そういう仲でありたいなと思ってます。

 

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