京滋ベースボールパーク(KBP)

選手とのコミュニケーションにLINEを有効活用!昨夏就任の京都成章・志賀厳監督の指導論を深堀り

昨夏で松井常夫前監督が勇退した京都成章。新チームからバトンを引き継いだのが志賀厳監督である。同校の6期生であり、在校時は遊撃手のレギュラーとして活躍。母校のコーチを25年以上務め、満を持しての監督就任だ。

奥本保昭元監督(現・花園大監督)、松井前監督から引き継いでいるものもあれば、志賀監督が就任して変えたものもある。新監督の目指すチーム像について深堀りしてみた。

プロフィール

志賀厳(しが・いつき)

1975年10月28日。京都府京都市出身。京都成章高-佛教大。京都成章高では大家友和(元横浜など)、倉義和(元広島)と同級生。高校3年夏は正遊撃手として京都大会準優勝。大学時代は野球部に所属せず、母校を指導。大学卒業後は事務職員として京都成章のコーチとなり、昨夏の京都大会後に監督に就任。事務課長。

大学時代から母校を指導

――京都成章の指導者になられた経緯を教えてください。

「高校を卒業してからは佛教大に通ったんですけど最後の夏は自分のエラーで負けて、自信がなかったし、野球部には入りませんでした。そこで奥本先生と松井先生が、『それやったら、ノック打ちに来てや』ということで、引っ張ってもらいました。大学の時はバイトしたりで、しょっちゅうじゃないけど、教えに来ていました。そのままここに事務職員として就職させてもらって、今日に至るまでずっと京都成章に勤めています」

――志賀監督が高校生の時は新興校の位置付けだったと思います。京都成章に進学されたきっかけを教えてください。

「家から近くて、野球が強くて、文武両道ということで選びました。頑張って勉強して、一般入試で入学しました」

――大家さんと倉さんは当時から凄かったですか?

「大家は中学生の時に対戦したけど、球が速くて、手も足も出ませんでした。135キロくらい出ていたと思います。倉は声をかけられて入ったので、早めに練習に来ていたんですよ。『先輩凄いな~』と思っていたら、実は同級生でした。僕は数少ない誘われていない組でした」

――現役は高校で終えられましたが、野球はやり尽くしたという感じでしたか?

「そのつもりでしたが、ここで教えてる時にたまにノックを自分が受けたり、打ったりするでしょう。高校時代に追い込まれてた自分からゆとりができるじゃないですか。体も大きくなるし、全然動けるので、バッティングでは打球が校舎を越すし、守備は誰よりも上手いし、投げても肩は強いしとなって、『大学でやっといた方が良かったな』なんて思った時期もあったけど、結果的に奥本先生、松井先生の下でずっとやらしてもらって、良い経験をたくさんさせてもらって、甲子園にも連れて行ってもらったし、何よりも教え子がたくさんできたから、ありがたいですよね」

――京都成章は指導者をたくさん輩出されている印象があります。

「それは奥本先生が人格者だったから、教えが行き届いているんでしょうね」

監督就任を機に頭髪を自由に

――奥本先生、松井先生の下で学んだことは何ですか?

(残り 2569文字/全文: 3801文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ