野球部員、演劇のステージに立つ!━━西日本短大付・西村慎太郎監督(後編)
監督として母校、西日本短大付(福岡県八女市※以下、西短)を甲子園出場に導くこと3度。九州大会では2019年春に平成最後の王者となり、準優勝も2度達成。九州最激戦区の福岡県をリードする西村慎太郎監督が、復帰4年目の夏を迎える。
前編では西短離職からコロナ禍で野球を失いかけた1年半に経験した自身の変化、そして同級生の日本ハム・新庄剛志監督から受ける影響について語ってもらった。
今回も斬新なアイデアで選手に野球以外の新しい価値観を根付かせたエピソードなどを中心に、西村監督の「生の言葉」をお届けする。
甲子園を目指す価値観だけに閉じ込めてはいけない
西村監督はすべての野球部員を、野球という狭い価値観の中だけに閉じ込めようとはしない。
それは自身がまだ西短のコーチだった20年前以上の話だ。当時のチームは今以上に素材の良い選手たちが揃っていたにも関わらず、思うような結果を得られずに苦しんでいた。この時、選手と同じ寮で生活をしていた西村監督は“負けたら終わりだ”というプレッシャーの中で、どんどん追い込まれていく選手の姿を目の当たりにしたのだった。
“野球という価値観の中だけに閉じ籠り、甲子園だけを目指す生活を送っていれば、子供たちは潰れてしまうだろう”と感じた西村監督は、2003年の監督就任後に学校の演劇部を訪ねた。西短の演劇部といえば、高文連コンクールで数々の表彰を受けてきた高校演劇界の名門だが、当時は中学時代に不登校だった生徒など、なにかと事情のある生徒も多かった。しかし、そんな生徒たちが演劇部に入部した途端、日に日に目の輝きを増し、目に見えて人間性が変わっていくのである。そんな姿を見ていたから、西村監督は野球部員に演劇をやらせてみたいと考えたのだ。
「効果は絶大でした。授業中に居眠りして怒られてばかりだった野球部員が、真面目に授業を受けるようになったんです。夜の8時ぐらいまで野球の練習をして、それから演劇の稽古ですよ。その後も夜中まで台詞を覚えていました。いったいいつ寝ていたのかと思うほど、彼らは一生懸命に取り組んでくれました。しまいには『自分たちが居眠りをしたら、他の野球部員まで文句を言われるし、演劇部にも迷惑をかけてしまう』ということを言い出すようになりましたからね」
こうして演劇に携わった野球部員がどんどん変化していく姿を見て、他の部員にも変化が起こっていく。この連鎖反応によって野球部は活気を取り戻し、2004年夏の甲子園出場をも勝ち取ったのである。そしてそのエネルギーは、野球部内にとどまらず学校全体にも波及。「西短の校風」と化し、現在へと至っているのだという。
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