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指揮官は明豊前部長。「本物の強さ」を植え付け2度目の聖地へ━━楊志館(前編)

 

2007年夏の甲子園に初出場し、8強入りを果たした楊志館(大分県)。近年では東京五輪、WBC日本代表の“キャノン”甲斐拓也(福岡ソフトバンク)の母校としても注目されている。
そんな楊志館に、心強いOBが帰ってきた。昨年4月に就任した赤峰淳監督だ。
赤峰監督は2023年3月まで明豊で部長を務め、春夏7度の甲子園を経験(2020年は大会中止)。
17年夏8強、19年春4強、そして21年春の準優勝に貢献した。部長として出場7回、通算11勝はいずれも大分県最多記録である。
41歳にしてすでに豊富な指導経験を誇る指揮官は、いかにしてチームを再び聖地へと導くのか。母校に復帰して以降、黙々と続けてきた奮闘努力。その甲斐もあって、徐々に生まれ変わりつつある楊志館の「今」に迫った。

当たり前のことを当たり前にできるチームに

赤峰監督は別府大を卒業後、楊志館で4年間コーチを経験。その間、2007年夏の甲子園8強や甲斐拓也の指導機会にも恵まれた。なお、内野手だった甲斐を捕手にコンバートするよう提案したのは、当時の宮地弘明監督のもとでコーチだった赤峰監督だった。その後、日本を代表する捕手に成長した甲斐の活躍を考えれば、日本球界に大きな影響を与えた進言だったと言っていいだろう。
その後も飯塚(福岡)でコーチを務め、2011年春の九州大会で準優勝。そして、同年夏前に明豊に移籍し、2012年秋から部長として明豊黄金時代の中心を担ったのだった。

昨年4月1日。監督に就任した初日のミーティングで、赤峰監督は選手たちにある“お願い”をしている。

「高校野球は勝つことだけがすべてはありません。いかに人として成長していけるか。グラウンドだけではなく、授業態度や課題提出、グラウンドまで来る自転車の乗り方、通学途中の電車内のマナーもそう。高校生として当たり前にやらなければいけないことは、当たり前にやっていこう」

それは1年以上が経った今も変わらない、赤峰監督によるチーム作りの大原則だ。赤峰監督は前任の明豊で「当たり前のことを、当たり前にやらなければ」という言葉を毎日のように聞かされ、強くなっていった選手たちを間近で見てきた。
また、明豊ですら一足飛びに強豪校に上り詰めたわけではなく、一歩ずつ、一段ずつ、足場を固めながら地力を付けていったからこそ今がある。常勝軍団の心臓部分にいた人物だけに、誰よりも「当たり前」の重要性を理解しているだけあって、選手たちにはこのことを真っ先に伝えておく必要があったのだ。

明豊部長として迎えた最後の日、明豊・川崎絢平監督(写真右)と。2012年秋以降、二人三脚で九州を代表する強豪校を作り上げてきた。

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