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変わりゆく軍隊野球━━鹿児島実・宮下正一監督「変革と不変の狭間で」①

春夏の甲子園出場29回。1996年春には県勢初の全国制覇を成し遂げた鹿児島実(鹿実)。久保克之元監の指導のもとで築き上げられた「厳格なる礼節野球」は、鹿児島県内はもちろん、全国の野球ファンからも熱烈な支持を集めている。
そんな県勢最多の甲子園出場回数、九州大会最多優勝を誇る名門を率いるのが、2005年に就任した宮下正一監督だ。宮下監督は鹿実OBで、高校時代は主将として1990年春夏の甲子園8強に貢献。2年秋、3年春と九州大会を連覇し、3年秋には国体で優勝。監督としても8強入りした2011年春を含め通算7度の甲子園出場に導き、2010年秋には神宮大会準優勝という実績も残している。

そんな「鹿実野球の申し子」と言っていい宮下監督も、近年は時代の変化と向き合う日々だ。とくに新型コロナの世界的パンデミックのあとから、時代は極端なスピードで変貌を遂げている。この野球界、とりわけ高校野球も、世の中から求めるものは以前と大きく変わってしまったと言わざるを得ない。宮下監督が恩師から継承し育ててきた「鹿実の野球」でさえ、例外と言っていられない時代が来てしまったのである。
一方、そんな中でも守っていかなければならないものもある。そう、鹿実だからこそ、最後まで死守すべきものもあるのだ。「変革と不変」。うねり続ける時代の中で、伝統の鹿実を率いる闘将の今に迫った。

軍隊でもいいじゃねぇか!

「不屈不撓」の校訓のもと、鹿実の硬式野球部は幾度の困難をも跳ね返し続け、何度でも這い上がり、這いつくばり、立ち向かい続けていった。鹿実のグラウンドに足を踏み入れると、部員や指導者による一糸乱れぬ美しいお辞儀と大音量の挨拶が私たちを出迎えてくれる。そして、張り裂けそうな緊張感の中、死に物狂いの選手たちが泥まみれで白球を追う姿がある。
このグラウンドの中だけは、まだ薩摩の気風が漂っていると感じ、別時代に足を踏み入れてしまったかのような錯覚に陥ることもあった。時に鹿実の野球部は「軍隊野球」と揶揄されることもあるが、そうした声も「無骨でも軍隊でもいいじゃねぇか」と言う宮下監督にとっては、むしろ闘志をたぎらせるカンフル剤でしかない。

「私が中学時代に初めて鹿実の練習を見た時も、正直“軍隊みたいだ”と思いましたよ。挨拶もビシッと整っているし、選手全員が切羽詰まった表情で、ただ必死になってボールを追いかけている。でも、それは決して野球部だけの話だけではありません。私の時代は男子校だったため、学校全体が軍隊の養成所でした(笑)。体育の授業も集団行動ばかりで、校外を女子と歩いているだけで停学処分になるのですから。とにかく久保先生の礼節を重んじる指導は厳しかったです。“日常生活のすべてが勝負に直結している”という考えのもと、食事の仕方、スリッパの並べ方、入浴の仕方、脱いだ衣服の扱いについては、とりわけ厳しくしつけられました。そうした日常生活によって培われた精神野球を『軍隊』と言われるのなら、それは仕方のないこと。そもそも自分たちのスタイルに誇りを持っていない奴が、勝負に勝てるわけがないでしょう。最後の勝負に勝てば、自分たちが貫いているスタイルが正解になるんですよ」

練習のコンパクト化を厭わなくなった

そんな宮下監督と鹿実野球部に、わずかな空気の変化を感じるようになったのはここ最近のことだ。あくまでこちらの肌感覚でしかないが、まず宮下監督による“落雷”の頻度が、以前よりも大きく減ってきた印象を受ける。

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