「正直、親心がくすぐられたのは事実です」━━あと一歩の壁③富島・濵田登監督(前編)
ここ10年で宮崎県を代表する強豪に登りつめた公立校の富島は、2018年春を皮切りに、2019年夏、2022年夏と3度の甲子園出場がある。
とくに濵田登監督が就任した2013年以降は強さが際立ち、かつては1・2回戦敗退が当たり前だったチームが春・夏・秋の県大会で優勝4回、準優勝4回。2017年秋には九州大会でも準優勝と大きく開花した。
今夏も富島は第1シードの延岡学園を破るなどして決勝に進出。しかし、優勝した宮崎商と互角に競り合いながらも、最後は9回に勝ち越しを許し1点差で涙を飲んでしまった。
注目すべきは今夏の決勝が、富島・濵田監督と宮崎商・橋口光朗監督による「師弟対決」となったことだ。
絶対に負けられない最終決戦で相まみえたかつての教え子。濵田監督はそこに何を感じ、何を見出し、次なる一歩に踏み出したのだろうか。
そこで「九べ」は、気温35度以上という猛暑日の中、宮崎県日向市にある富島高校グラウンドを訪ねた。
決勝戦は負ける気がしなかった
━━前チームは秋が準々決勝で小林西に、春は3回戦で日章学園に敗れ、無冠で夏を迎えることになりました。チームの仕上がり具合については、夏初戦の段階でどれほどの状態にあったのでしょうか?
「もちろん甲子園に行くつもりでチームを作っていきましたが、秋の小林西戦や春の日章学園戦のように、急にエアポケットに入ってしまったかのような負け方をするチームでした。とくに秋の小林西戦は初回にいきなり4点を取ってペースを握ったかと思ったら、その後はパッタリ打てなくなって9失点での逆転負け。春の日章学園戦も、勝てると踏んでいながら1点も取れずに0-3でゲームセット。これがメンタル的なものなのか、技術的なものなのか、狙い球なのか、もちろんいろんな要素が絡んでいるとは思いますが、そういうことが起こり得るチームだったんです。ただ、練習の中でプレッシャーをかけたり追い込んでいくうちに、選手たちの気持ちの強さが前面に出るようになってきました。そうやって以前のモロさが少しずつ解消され、夏の大会前になってようやく“甲子園に行っても勝てるんじゃないか”という手応えを得られるまでになったのです」
━━初戦の小林戦、続く小林秀峰戦を2試合連続無失点で突破。準々決勝は延岡学園との点の取り合いを制して6-5の1点差勝利。都城との準決勝も二けた得点を挙げての決勝進出。この勝ち上がりについては、どう振り返りますか?
「本当に気の抜けない相手ばかりでしたからね。初戦の小林はここという時の集中力が凄いし、そういった状態にハマってしまう怖さはありました。それでもスムーズにゲームに入っていけたうえにスムーズに勝てたので、小林秀峰戦もいい形で入ることができました。準々決勝が藤川敦也君と工藤樹君という140㌔中盤以上の2枚看板を揃えた延岡学園。向こうは初戦の都城東、日南とタイブレーク、タイブレークで来ていました。そんな激戦が続いたことで、気持ち的に削れた状態なのか、はたまた接戦をものにしてきた強さがあるのか。そのへんを探りながらの入りだったのですが、ウチの石川雅人が藤川君の初球の146㌔真っすぐを捉えて完璧なライトライナーを打ちました。それでチーム全体が勇気を持ったといいますか、ポンポンとヒットが出だして、3回までに藤川君から7安打で4点を取ることができたのです。たしかに3年生の代はスピードボールに強いチームでもあったんですよね。鹿児島実の井上剣也君や佐伯鶴城の狩生聖真君といった150㌔超のピッチャーを結構打ち込んでいたので、真っすぐだけだったらなんとかなるかなという思いはありましたね。とにかく延学に勝てたことで、準決勝の都城も決勝の宮崎商もそうですけど、以前のようなエアポケットにハマる怖さを考えずに試合ができました」
━━とくに夏の高校生によく見られる「試合をしながら成長していく」というチームだったのですね。
「守備力には多少の不安はありましたが、コーチの中川清治も『決勝まで技術力を磨いていこうな。甲子園に行っても技術力を上げて、もっともっと戦えるチーム、勝てるチームにしていこうな』という話をしてくれましたし、実際にそういう形で勝ちながら強くなっていけたと思います。最後は自信を持って戦えるチームになりましたし、決勝も変に気負うこともなく、だからといって緊張するわけでもなく、普段どおりに入っていけました。だから負ける気はしなかったんですけどね……」