【高校】信州工高出身の新潟産大付・吉野公浩監督インタビュー(上) 春負けて大人に
この夏の新潟大会で並みいる強敵を連破し初めて甲子園出場を果たした柏崎市の新潟産業大学付属高。甲子園でも初戦で強豪花咲徳栄(埼玉)に2-1で競り勝ち、新潟県に7年ぶりの勝利をもたらした。地元の盛り上がりは、SNSなどを通じて長野県にも伝わってきた。
新潟産大を率いるのは、地元出身で信州工高(現東京都市大塩尻)OBの吉野公浩監督(57)。今年6月に逝去した信州工―武蔵工大二高元監督・大輪弘之さん(塩尻市、享年80歳)の教え子だ。大輪さんが亡くなったその夏に、恩師も届かなった甲子園に初出場という、不思議な力を感じずにはいられない快進撃となった。
甲子園から戻り新チームがスタートした新潟産大付に吉野監督を訪ね、この夏の戦いやこれまでのチームづくり、大輪さんなどについて聞いた。
↓ 甲子園から戻りインタビューに応じる吉野監督
↓ 6月15日に亡くなった吉野監督の恩師・大輪さん。信工ー武蔵工大二で42年間監督を務めた。ナインズ本誌にも約7年間、コラムを執筆いただいた(写真は15年)
【新潟産大付のこの1年の軌跡】
<昨秋>
▽県1回戦(新潟は地区予選がない)
● 5-10帝京長岡(春県制覇)
<今春>
▽県3回戦(2戦目)
● 1-2関根学園(秋北信越出場)
<新潟大会>
▽2回戦
〇 9-1六日町(第5シード)
▽3回戦
〇 7-2新潟明訓
▽4回戦
〇 8-2村上桜ケ丘
▽準々決勝
〇 3-2日本文理
▽準決勝
〇 9―5中越
▽決勝
〇 4-2帝京長岡(春北信越優勝)
<甲子園>
▽1回戦
新潟産大付
000001100 2
010000000 1
花咲徳栄(埼玉)
▽2回戦
新潟産大付
000000000 0
00000013X 4
京都国際
↓ 新潟大会で初優勝した新潟産大付
(写真:新潟野球ドットコム提供)
―新潟勢7年ぶりの勝利に県内は大いに沸いた。甲子園に初めて出て、なおかつ勝った思いは
吉野監督 夢の中というか、花咲徳栄(17年夏全国制覇)に勝ったというのが信じられない気持ちでした。相手が埼玉代表に決まり「あちゃー」ですよ。引いちゃったなと。埼玉三冠(秋、春、夏)で県内無敗でしたから、優勝候補の一角だと思っていました。皆さんに聞いても「強いぞ」、「すごいところと当たったぞ」と言われ、100人いたら99人が花咲が勝つと思っていましたし、それぐらい力の差があると思っていました。そこに勝ってうれしいというより、信じられないという気持ちの方が強かったですね。
―宮田君と田中君の両投手がよく投げてバックも落ち着いていた
吉野監督 5回まで2点ビハインドならOKという話はしていたいので、だから(2回に先制されたが)1点に抑えたので100点満点。先発の宮田はボール球が多かったですが、1失点で抑えたのが大きかったです。守備は県大会から堅くいっていたので、その通りにやってくれました。
―初出場で相手は優勝候補。雰囲気によく飲まれなかった
吉野監督 序盤で大量失点していたらそうなったと思いますが、結構しのいでしのいで5回まで1失点で、クーリングタイムを挟んで、「第2試合始まるぞ」と気持ちを切り替えられ、選手たちは「やってやるぞ」、「いけるいける」という気持ちが強かったと思います。こちらの打者の当たりも結構良かったこともありました。
―1点ビハインドから後半に逆転
吉野監督 県大会の(準々決勝)日本文理戦もまったく一緒で、追いついてから9回に勝ち越し、(準決勝)中越戦も先制されたが追い付いてひっくり返したのを経験していたのが大きいと思います。
―〝金星〟を挙げて新潟県民は大変喜んだ。甲子園で勝つことの影響を感じたか
吉野監督 大阪にいたときはいろんな人から「(地元は)盛り上がっているぞ」と聞いていましたが、実際は肌では感じられません。帰ってきてから、パブリックビューイングの盛況ぶりや試合時間に街を歩いている人がいなくなったとか聞くと、すごかったんだなと思いました。戻ってから、野球なんか興味のないような人や年配の方からも声を掛けられて、「すごかったね、感動したよ」、「もう涙が出たよ」と声をかけられました。やっぱり勝ち上がりとして、新潟県を引っ張ってきた新潟明訓や中越、日本文理、帝京長岡に勝っての甲子園だったので県内の注目度が上がったのかなとも感じました。
―2戦目は結果的に優勝した京都国際と対戦
吉野監督 京都国際はタイプがうちに似ているのかなという感じでした。左が2枚でしたが、守備が堅く、長打は少ないが簡単にアウトにならず、小技ができたり、全力疾走をやったり。結果的にこちらがやりたい野球をやられたなという気持ちでした。
―京都国際の左投手の攻略は
吉野監督 1番の子(中崎)はビデオを見たりして研究しましたが、(実際に先発し完封した)11番(西村・2年生)の子はちょっと情報が少なくて、正直言うとあまりよく分からずに入ってしまいました。まったく1番と配球のパターンが違うし、早いカウントからどんどんチェンジアップを投げてきました。バッターを見て投げられている感じで、みんな(チェンジアップで)抜かれて、全部同じ腕の振りでくるので打つのは厳しいな感じました。
―このチームは秋、春とも相手が強豪だったとは言え早い段階で敗退。悲観しなかったか
吉野監督 去年の秋(1回戦の帝京長岡戦)は一番心配していた守備で3つエラーが出て、みんな得点に絡みました。5得点は評価できますが、3失策で10失点。守備を鍛えれば面白いかなと思いました。
―春の関根学園戦は
吉野監督 走塁でけん制アウトが2つあり10安打で1得点。相手は2安打が長打で2点。そういう部分でつながりに欠け、自分たちでチャンスをつぶしていたので、「お前たちは力はあるけれど」と選手たちには言いました。
―課題が明確に出たが、新潟大会の組み合わせがすごかった。開き直ったか
吉野監督 いきなりシード校の六日町で投手がいいじゃないですか。逆に楽してコールドで大勝ちしても気が抜けて駄目です。抽選後に、このチームはとにかく苦しんで勝ち上がらない駄目と、強がりだったかもしれませんが、そういう意味では「いい組み合わせになった」とみんなの前で言いました。苦しんで勝ち上がっていくんだと。本当に一戦一戦頑張って、勝っても「まだ一個しか勝ってない」、「まだ2つだぞ」と、そんな感じでした。
―息が抜けない相手ばかりでしたから
吉野監督 春の大会で(初戦で)十日町に勝って、それがこのチームの(公式戦)初勝利だったんですが、すごく浮かれていて、めちゃくちゃ浮かれすぎていました。それを見て試合が終わってから怒ったんですよ。「いつまで浮かれてんだ」と。次の試合に変なふうにならなければいいなと思ったら、関根学園戦はそういう結果になってしまいました。(春の1勝は)優勝したチームの光景でした。夏は「1つ勝っても次があるぞ」となりました。甲子園で花咲に勝って喜んではいましたが、「次があるぞ」と、浮かれる感じはなかったですね。2勝、3勝するぞという雰囲気がありました。そういう意味では春に負けて大人になったんです。
インタビュー(下)に続くー
<新潟産業大学付属高校>
学校法人柏専学院が経営する普通科の私立校。柏崎市安田。1958年創立。生徒数は約480人。野球部は59年創部。18年夏4強、21年夏準優勝。部員数はこの夏で56人。うち寮生は12人で、県外生は各学年1人。2年生に長野県出身者が在籍。
↓ 甲子園出場を祝う垂れ幕がかかった新潟産大付の校舎
◇吉野 公浩監督
(よしの きみひろ)
1967年、柏崎市生まれの57歳。信州工高―亜細亜大では投手で、1学年下に近鉄などで活躍した小池秀郎。柏崎市の公益財団法人「かしわざき振興財団」総務課長。職場のチームで国体や天皇杯にも出場。2004~16年に柏崎リトルシニアの監督を務め、春夏12回全国大会に出場。16年に新潟産大付高の監督に就任。