ミロ・モアレ(Milo Moiré)の表現—裸の文脈(3)-(松沢呉一)-2,541文字-
「公共の場での全裸—裸の文脈(2)」の続きです。
お笑い文脈
以下はイタズラ、お笑いの文脈です。
乳首のみならず、下半身も。たぶん肛門や筋は隠しているんだと思いますが。
これはよくできていますけど、近くで見てもわからんもんですかねえ。最後に出てくるように、わかった人もいるみたいですけど、わかっていてもスルーした人たちも多いのかな。これだと全裸だとしてもエロくない。上から描くだけで裸の意味合いが違ってきます。大上段に振りかぶると、これも表現の力と言えましょう。意味を変換させる力です。
ここまでの動画で何を言いたいのかと言うと、「裸だから猥褻」という見方は一面的なものでしかなく、その意味合いは環境、文脈で左右されるってことです。
そこを踏まえていただいて、さらに裸を見ていきましょう。
プロテストとしての全裸
以下は2016年にドイツで行われたプロテスト文脈の全裸パフォーマンス。ぼかしが入っているため、18禁ではありません。
詳しい記事はこちら。
この行動は「ケルン大晦日集団性暴行事件」への抗議であり、プラカードには「私たちを尊敬しなさい。私たちは裸になっても公正なゲームではない」といった趣旨のドイツ語が書かれてます。イマイチわからんメッセージですけど、地位や服装、収入、役割等を剥ぎ取ってもなお男女には格差があり、「セックスは対等ではない」とか「裸の意味は対等ではない」ということなんですかね。
また、「女たちは隠れてはいけない」というメッセージも出しているようです。だから裸。乳首解放運動の全裸版でありましょうか。
以下は上の動画から、全裸に気づきつつも注意しない警官(0′17″)。Uの文字にかぶっている人ね。
Wikipediaによると、警察は人を近づけないようにしていたようです。現場で多くの人が見るよりも、滞りなく行動を完遂し、それがメディアで報じられればいいわけですから、警察は表現活動に妨害が入らないように守っていたとも言えます。
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