解放後の殺人で処刑された収容者エーリッヒ・ゾッデル—収容所内の愛と性[13]-(松沢呉一)
「ヘレナ・コベルは精神を病んでいたとの証言—収容所内の愛と性[12]」の続きです。
スタニスラワ・スタロスカの場合
ヘレナ・コペルの精神が病んでいたことを証言したスタニスラワ・スタロスカはヘレナ・コペルと対照的に冷静です。
彼女は1917年生まれ。ポーランドで反ナチスの地下活動をしていて、1940年1月に逮捕されて終身刑となり、1942年4月に、アウシュヴィッツに移送されます。前年12月に第二収容所としてビルケナウが建設されて収容人数が増えたことに伴うものでしょう。これがアウシュヴィッツへのポーランド人の最初の収容で、108人いたポーランド人のほとんどは餓死したとのこと。
彼女が生き延びることができたのはドイツ語が話せたためです。通訳として起用され、カポにも任命されました。彼女はカポであったことを認めています。これだけでなく、彼女は自分に不利になることでも積極的に語っているように見えます。
彼女はカポの地位を利用しようとしたと言ってます。「外でナチスと闘ったように、中で闘うため」です。カポとして彼女が苦労したのは、収容者の中の犯罪者グループだと言ってます。罪悪感が薄く、盗みをする。そういう違反者には制裁を加えたことも正直に語っています。
そういう人たちの反感を買って、彼女に対する不利な証言をする人たちも多かったようです。
しかし、彼女は、カポは決して特権者ではないと反論。配給をごまかすとこができたのは事実でも、彼女はそれができないように制度を変えたとも言ってます。専用ベッドをもっていたのが唯一の特権だと。各自決まったところに寝ていたはずなので、二段ベッドではなく、二人でベッドを共用することもなかったという意味でしょう。
※被告らは、逮捕時に撮られた写真、裁判前に撮られた写真の最低二点はあるはずなのですが、スタニスラワ・スタロスカを撮った写真は一点も見つからない。理由は不明。彼女は被告番号48で、最末尾ですので、最後列の端のはず。カメラマンはヨーゼフ・クラーマーやイルマ・グレーゼを撮ることで一所懸命のために、後ろの方を撮ったものが少ない。全体を撮っていても端っこは柱が邪魔して彼女の姿は見えない。ここに出したのはこちらの写真から、それらしき人物を拡大したものです。他の全体写真は拡大してもまったくわからず、これがもっとも鮮明です。手前は男のように見え、リストと照らし合わせると、47はアントーニ・ポランスキです(「ドイツ軍と闘ったボーランド兵が懲役15年の判決になる無情—収容所内の愛と性[8]」参照)。アントーニ・ボランスキとこの写真の人物は大きく違う容貌ではなさそうです。この写真が暫定スタニスラワ・スタロスカってことで。
反ナチスの地下活動なんてしたばっかりに
スタニスラワ・スタロスカは収容者を守るために親衛隊ともうまくやっていく必要があると考えて実行し、それも収容者の反感を増大させたようです。その姿勢に加えて、彼女はヘレナ・コペルと懇意だったことも「親衛隊の手先」と見なされる理由になっていたでしょう。実際そうだったのかもしれないですし。
彼女は収容所の副司令官だったフランツ・ヘスラー(Franz Hößler)が収容者に人道的に接して、シラミ対策をして一掃したと擁護する証言をしています。シラミは腸チフスの媒介になったため、ただの痒み対策ではありません。外から次々持ち込まれるため、どれだけの効果があったかわからないですが、ヘスラーは死んでいくのをただ眺めていたわけではないのだと。
看守や親衛隊員が腸チフスに感染することを防ぐという意味もあるでしょうから、収容者に対する配慮だけとも言い難く、わざわざ擁護したことも彼女には不利に働いたことが容易に推測できます。
ヘスラーは副司令官ですから、どちらにせよ死刑です。言っても言わなくても一緒。にもかかわらず擁護したのはただただ事実を述べただけじゃなく、親衛隊と彼女の親密さを示していそうです。
カール・フランシオに不利な証言をしていたドラ・サフランはスタニスラワ・スタロスカが選別に関わっていたと証言しています。ドラ・サフランの証言を読むと、ヘレナ・コペルと同様に、「あれもこれも私は知っている」と言いたがるタイプのようにも思えます。虚言系の特徴です。
選別については親衛隊員でも「医師しか決定権がなかった」と言っており、カポごときでは関われなかったと見た方がよさそうです。収容者を殺すなら、ヘレナ・コペルのように、あることないこと親衛隊員にチクった方が早い。
しかし、判決は懲役10年。スタニスラワ・スタロスカに問題があったとしても、これでは報われない。ナチスに対する抵抗運動なんてしてはいけない。この裁判はそう語っています。
処刑された収容者
ここまで11人の収容者を見てきました。12人目が残ってます。
「子どもを殺すことを命じたヘスが殺す人々を軽蔑する身勝手—ルドルフ・ヘス著『アウシュヴィッツ収容所』を読む[7]」で写真を使ったエーリッヒ・ゾッデルです。ここではたんにカポの写真が欲しくて検索したら出てきたゾッデルの写真を使っただけです。
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