ナチスの失敗・禁酒法の失敗—矯風会がフェミニズムに見える人たちへ[禁酒編 2]-(松沢呉一)
「矯風会の始まりは婦人禁酒会—矯風会がフェミニズムに見える人たちへ[禁酒編 1]」の続きです。
『ユダヤ人を救った動物園』から
私は酒を飲まないですから、その点では矯風会も救世軍も推奨の人徳者ですが、私はこの人たちのように法で禁止すれば解決すると考えるアホな発想を批判し続けています。
もちろん、法は重要。法の役割を軽視するつもりはありません。しかし、いかにマイナス面があるとは言え、個人の判断に委ねるべき嗜好品まで法で禁止し、その取締を支配者に安易に求める心理にこそ、解消すべき問題があるのだと思います。
クリスチャンのすべてがそうであるはずはなくて、宗教道徳を法で実現しようとすることを否定しているクリスチャンもいますけど、法で禁酒を実現しようとするような人たちについては個人主義の敵です。すなわち私の敵であり、フェミニズムの敵のはず。
法で厳しく取り締まれば理想に近づけるという発想はナチスの特徴であることはナチスシリーズで繰り返してきた通りです。不要な存在、服従しない存在は法で消せばいいという発想を進めていった結果についても確認した通り。犯罪をかえって増加させたため、さらに法を強化して、反発する人たちを増やしていきました。厳罰化の悪循環です。
そのナチスでさえも、ヒトラーが嫌いな酒やタバコを禁止しませんでした。ヒトラーはそうしたかったようですけど、実施する前にヒトラーはヤク中になって死にました。
最近読んでいたダイアン・アッカーマン著『ユダヤ人を救った動物園――ヤンとアントニーナの物語』の中に、なぜああもナチスが法制化、重罰化をしたのに、機能しなかったのかの説明になっている指摘がありました。話が飛びますが、法の強化は何を招くのかを知るために格好のサンプルだと思いますので紹介しておきます。
物語の舞台はポーランドです。ワルシャワで動物園を運営していたヤン・ジャビンスキ(Jan Franciszek Dionizy Żabiński)とアントニーナ・ジャビンスカ(Antonina Maria Żabińska)夫妻が、侵略してきたナチスドイツとそれに対抗するポーランド軍によって破壊され、動物のいなくなった動物園を維持して、抵抗運動の拠点にし、動物園に紛れ込ませて多数のユダヤ人たちを救った実話です。
映画にもなっていますが、これについては私は感動したいのではなくて、事実を知りたかったので、本を読みました。結果、たびたび感動してしまいましたが、ナチス支配がどう進んでいったのか、どう市民は抵抗したのかが的確に書かれたいい本です。
根拠なき法による強制は従わない者を増やすだけ
私が知りたかったこと、また、それ以外でこの本で教えられたこと、考えたことについてはそのうちまとめるとして、「現状ネオナチが力を持つ心配はなさそうなドイツの政治体制—マスク・ファシズム[13]」に出てきたナチスのハンス・フランク総督は、ポーランド制圧後、ゲットーから出たユダヤ人と、それに意図的に場所を提供した市民を死罪とし(のちにその家族や隣人も死罪になると改正されたよう)、これを教唆、幇助した者も同様に処罰すると発表します。ヤンとアントニーナはこれに該当します。
それに続いて発布された「暴力的行為撃退の布告」はドイツ当局への不服従、妨害行為や放火、銃その他の所持、ドイツ人に対する攻撃、夜間外出禁止令への違反、ラジオの所持、闇取引、地下活動ビラの家内所持、さらに、これらを常習的に犯している者への通報を怠った者は、例外なく処罰するという内容だった。(略)人は誰でも、作為と不作為の間のどこかに自分なりの良心のバランスを見つけるもので、ポーランド人の大半も、脱走するユダヤ人のために命も賭けないかわり、彼らを告発するようなこともしなかったのである。
当たり前ですが、人間は判断をするのです。ドイツ本国であればヒトラーの考えに同調するのが多数いて、その人たちが密告するため、ヒトラーの悪口も言えなくなるわけですが、ポーランドでは内的な動機がないので、密告する人は少ない。その内容に納得できない法を制定しても無効であり、かえってそれに対する反発を招きます。
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