松沢呉一のビバノン・ライフ

「花柳病男子の結婚に関する請願書」に対する与謝野晶子の批判—平塚らいてうの優生思想[2]-(松沢呉一)

新婦人協会によるふたつの請願—平塚らいてうの優生思想[1]」の続きです。

 

 

 

花柳病男子の結婚に関する請願書」を批判する与謝野晶子

 

vivanon_sentence『女人創造』収録「新婦人協会の請願運動」で、与謝野晶子は新婦人協会による花柳病男子の結婚に関する請願書を強く批判します。与謝野晶子にとって平塚らいてうは年下ながらも敬意を払っているいわば同志であり、身内です。それでも忌憚なく公然と批判するのがいいところ。

この文章でもまず新婦人協会の登場を大いに喜んだことを丁寧に説明し、続いて、請願のうちの治安警察法第五條撤廃の請願」に賛同すると表明。与謝野晶子自身、それ以前から撤廃を主張していましたから、ここは当然として、本題であるもうひとつの請願に入ります。

 

 

それよりも、私が全く異様の感を持たずに居られなかったのは第二の請願です。花柳病が怖るべき伝染病であり、家庭、社会、及び子孫に対して悲惨なる害毒を流しつつあることは言ふまでも無いことですが、此種の戦慄すべき病症は、科学的正確を以て云へば、結核や癩病とともに猶外に幾つも列挙することが出来ます。花柳病と併せて其等のものが駆逐されるの無ければ、人類の幸福は常に幽鬱な陰影を伴ふことを免れません。平塚さん達は民法の中の婚姻の規定に「結婚せんと欲する男子は、先ず相手たる女子に、意思の健康診断書を提示し、花柳病患者にあらざる旨を証明すべし」と云ふやうな項目を加へようとされるのですが、単に「花柳病」と限らずに、総括して、伝染病及び遺伝病の患者とする方が合理的では無いでせうか。

また男子のみに診断書を請求するのも私は不公平だと思ひます。之に就て平塚さん達は幾多の理由を挙げて居られますが、その不公平を弁護する理由として非常に薄弱です。(略)

猶、平塚さん達は、この要求は男子に対し「道徳的な家庭婦人の立場からするもの」であり、「且つこの疾病は他のものと異り、その性質上、男子の或不道徳的行為の結果として来たものでありますから、幾分それに対する処罰の意味を含むもの」であることを理由とされて居ます。私は此処に平塚さん達が道徳家を以て自ら任ぜられることの大胆に一たび驚き、また人間が人間を罰することの可能を確信せられることの僭越に二たび驚きます。

 

 

論点は、伝染性の病気は他にも多数あるのに花柳病のみを対象にしたこと、男子のみを対象にしたこと、それが道徳の立場からなされたことです。

与謝野晶子は「女として」「妻として」「母として」ではなく、「人間として」という考え方の人ですから、こんなところで一方的に男子のみを対象にするのを嫌うのは理解できますが、個別の内容よりも、平塚らいてうが「道徳的な家庭婦人の立場」からこれを提案したことに強く反発し、道徳を法で制裁することに反対する考えを明らかにした上で、「私は平塚さんたちの態度が意外にも矯風会あたりの基督教婦人の態度に何となく似通う所のありはしないかと云ふことを恐れます」というフレーズがこのあと出てきます。

与謝野晶子はこんな請願を出すのではなく、婦人参政権の要求をすべきであったとし、この請願が因襲的結婚制度と道徳を堅持し、よりによってそれを国家に依頼することによって、軍国主義や特権主義が跋扈し、「平等と平和と愛」が期待できなくなるとまで言っています。

この特権主義についてはのちに見ていきます。

※中身とあんまり関係ないですが、品川女子学院の校歌は与謝野晶子作詞です。品川女子学院は、中高一貫の「偏差値高い系女子校」です。北品川駅前にあって、京成線の中からえれえ校舎が目立つので、いつの間にか認識するようになりました。たまたま前を通りかかった時に、外壁に校歌が出ていて、読めるものはなんでも読む癖があるため、与謝野晶子作詞であることに気づき、「女学校教育に批判的だったはずの与謝野晶子がどうしてまた」と訝しく思いました。どういう経緯かは知らないです。

 

 

与謝野晶子の恋愛至上主義

 

vivanon_sentence平塚らいてうの結婚制度と道徳に対する与謝野晶子の批判は、恋愛至上主義に基づいています。

 

 

私の体験を根拠として云へば、恋愛は高く遥かに政治や、法律や、科学や、論理の彼方にあります。熱愛する一対の男女の中に健康診断書の有無が何であらうぞ。或は法律に由って恋愛の完成を擁護されることはあっても、如何なる場合にも恋愛が法律に由って拒まるべき性質のものではありません。平塚さん達が花柳病と恋愛とを相殺される程、恋愛に就て浅薄な考を持たれるとは思はれませんから、恐らくこの請願は、恋愛を無視した因襲的結婚を容認した範囲に於て提出されるものであらうと想像する次第です。さうであるなら、この請願は平塚さんや私達の恋愛結婚の主張と矛盾して、非常に妥協的なものとなります。

 

 

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