松沢呉一のビバノン・ライフ

感染症予防のために国単位で拒否する数々の実例—東中野「西太后」の「差別」貼り紙を検討する[2]-(松沢呉一)

カナダ政府による香港人受け入れに見る「容認されるべき差別」—東中野「西太后」の「差別」貼り紙を検討する[1]」の続きです。

 

 

「すべての差別をなくすことは不可能」から始める

 

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前回、カナダの香港人受け入れの法改正を例に、「否定されるべき差別」と「容認されるべき差別」があることを軽く説明しました。

「差別」という言葉はもともと区別の意味で、その名残が「差別化」という言葉です。他との差を明らかにするという意味であり、他を貶める意味がつねに付随するわけではありません。また、「無差別」は区別しないという意味でしかありません。

それが今では、否定的な意味に限定して使用していて、「容認されるべき差別」は「差別とは言わない」という意見もありましょうが、ここでは両者の境界線は自明ではなく、法、文化、習慣、必然性などによって規定されることをわかっていただくために、「否定されるべき差別/容認されるべき差別」とします。

ここが理解されていないために、何でもかんでも差別として、他者を攻撃する手段とする人たちが後を断たず、今回の中国人インフルエンサーがその典型です。それに対して「それは区別だ」という反論がなされるのが定番になってます。

なんでも差別だと言いたがる人たちは「容認されるべき差別」が存在することを認識し、「それは区別だ」としたがる人たちは否定されるべき区別が存在することを認識した方がいいと思います。

例えば。前回見たように、能力の違いで国に受け入れたり、企業が採用したりはどの国でも当たり前。抽選で社員を採用する企業なんてあり得ません。能力差別です。

その際に学歴で選別することもあります。学歴差別です。中卒と高卒と大卒で、平均的に能力差がありましょうが、個人をピックアップした時には高卒より能力が高い中卒がいたり、大卒より能力の高い高卒がいたりしましょうが、採用時に線引きをし、給料に差をつけることが普通に行われています。

採用時に年齢制限をすることも当たり前になされています。年齢によって給料を変えることもなされています。年齢差別です。すべての差別をなくすべきだと主張する人たちはこれらに抗議した方がいいです。全然支持を得られないと思いますが。

✳︎「2025年度入社講談社定期採用」より。学歴問わずの出版社もありますが、ほとんどの出版社は大学または大学院卒が条件です。

 

 

感染症対策では「容認されるべき差別」の応酬

 

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これも前回見たように、国と国の関係は差別だらけです。

A国の国民は、B国に行く際にビザがいらない。しかし、C国民はB国に行く場合はビザが必要。貿易においても同様に国によって条件が違います。条約などの取り決めや歴史的背景で決定されていますが、そんなもん、個別の国民にとって責任はない。個人の資質、商品の質によって決定せず、国単位で決定するのは差別です。

個人主義者の私としては国という単位が個人の上位に来るのは居心地が悪いのですが、国という単位で世界ができている限り、国によって差をつけ、それにともなって国民に差がつくのはやむを得ません。その差別がなくなる時は国が消滅する時です。

 

 

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