『東京ボーイズコレクション ~エピソード1~』 モナコ国際映画祭最優秀グランプリ受賞作!しかし、いったいどんな映画祭なのかと困惑するばかり・・・ (柳下毅一郎)
監督・脚本・製作総指揮 寺西一浩
撮影 田宮健彦
主題歌 西村一輝
出演 西村一輝、永尾まりや、市來玲奈、熊切あさ美、はなわ、さとう珠緒
第十四回モナコ国際映画祭最優秀グランプリ受賞作である。モナコ国際映画祭関係作品を取り上げるのは『銀座並木通り クラブ・アンダルシア』に続き二本目。いったいどんな映画祭なのか気になってしょうがないんだが、wikipedia 見ても困惑するばかりでさっぱり意味がわからない。あるいはこの映画祭に参加するのがこのブログの最終目標となるのだろうか。かくして『東京~ここは硝子の街~』、『新宿ミッドナイトベイビー』で(このブログには)おなじみ寺西一浩監督の新作はモナコまで行ってしまったわけである。こうやっていろんなものがつながってくると、誰も知らなかったもうひとつの映画世界を発見しつつある感じがして興奮しますね。
さて、そんなわけで寺西一浩待望の新作、「実話に基づいて描かれた感動のラブストーリー」ということなんだが、中身は高校生男女の爽やかラブストーリーということでまたしても青空案件。すべてが現代日本映画のパロディにしか見えない。実話と言っても何ひとつ現実のディテールがないから「実話」の冠をつけているだけ。男女のラブストーリーも、惹かれあう理由もなければ惹かれ合ってる描写もないから、お約束でやっているようにしか見えない。全編が主人公のナレーションで進んでいくのにしても、ナレーション自体は何も説明していないので、「今の映画は主人公の独白で進んでいくんだな」と考えた人間が見よう見まねでつけてみたもののようだ。寺西一浩は別にカットを見せたいわけでも演技を見せたいわけでもない。特に見せたいものなどないようにさえ思える。見るべきはシーンでもカットでもない。すべてがバラバラで、何ひとつ意味をなさない。セリフもつながってないし、カットのつながりもない。ストーリーテリングのすべての要素がバラバラに放り投げられている。ナレーションすらが物語を進めるのではなく、ただナレーションのためだけにある。
この映画のクライマックスシーンはこんな感じだ。ヒロインのリサ(永尾まりや)は元アイドルなのだが、病気の弟を看病するためにアイドルをやめた。だがその弟も死んでしまう。
病院で話している看護婦と医師。
「笑い顔の可愛い子でしたね。優しいお姉さんでしたね。今、何をしてるんですかね」
これで弟が死んだことが伝えられる。そしてカット変わるとグラウンド。リサはイッキ(西村一輝)に話しかけている。
リサ「わたし、ひとりぼっちになっちゃった。仕事も夢もなくなっちゃった」
イッキ「リサは一人じゃないよ」
というとイッキはいきなりマウンドで抱きしめる。
ナレーション「やっと君を見つけたんだ。二度ときみを離さない」
実はリサとイッキは幼馴染であるらしく、映画の冒頭からイッキのナレーションで「ねえ、きみは、二人ですごしたあのころのこと覚えてる?」「きみは今どこで何をしてるんだろう?」「きみと過ごした時間は今でもぼくの中から消えないんだ」とか延々くりかえしているんだが、彼女こそがおさななじみだと判明するのはここ。それもここまでなんの伏線もなければきっかけもない。どちらが先に気づいていたのかもわからない。彼女とのあいだになぜいつどこで心が通じ合ったのかさっぱりわからないのである。ただ幼馴染と心が通じ合うイベントをやりたかっただけだという……今の日本映画ってこんなんでしょ?という問いを突きつけてくるという意味で、邦画関係者は必見と言えるかもしれないこともないかも?
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