15年ぶりの頂点へ、取り戻した王者のメンタリティ━━JR九州・中野滋樹監督①
今年で第49回を迎える社会人野球日本選手権は、10月29日(火)に京セラドーム大阪で開幕する。九州地区からは地区予選第1代表のJR九州と第2代表のHonda熊本、JABA岡山大会で優勝した西部ガスの3チームが出場を決めている。
今回は2009年以来2度目の頂点を目指すJR九州の中野滋樹監督を直撃。正捕手として前回の日本一を経験している中野監督にとっても、今回が全国初采配となる。直近5年で都市対抗の切符を逃し続ける苦境の中で、かつての常勝軍団復活に向けて力強い第一歩を踏み出した九州王者。就任2年目の指揮官に大会への意気込みを聞いた。
ハードワークは選手たちの思いを確認する場でもある
━━昨年の監督就任以降、初の全国切符を勝ち獲りました。それも、昨年の日本選手権で準優勝し、昨年まで9年連続で都市対抗野球に出場していたHonda熊本に勝っての1位代表でしたね。
「9月の日本選手権予選が終わって、チームの雰囲気がどうなるかなと思って見ていたのですが、あの予選をきっかけにチームが成長したなと実感しています。私たちが問いかけ続けてきた部分が成功につながったことで“やってきたことが間違いではなかった”と感じてくれたのか。それとも結果が良い自信になったのか。予選後は、ひとりひとりの動きや自主練習への取り組み方が目に見えて良くなりました。グラウンドの空気も一段と良くなったと感じています」
━━ただ、今年の都市対抗予選では5年連続で代表権を落としてしまいました。何が敗因だったと思いますか?
「就任した昨年は都市対抗も日本選手権も代表権を逃してしまったので、なんとかしないといけないと思って臨んだ夏でした。しかし、今シーズンは『惜しい試合だったね』とか『もうちょっとのところで勝てなかったね』と言われるような試合が続きました。それが何故なのかと振り返った時に、やはり行き着いたのは“野球は確率のスポーツだ”ということでした。試合の中で一番大事なことは、バントだったり、守備だったり、当たり前にやらなきゃいけないことをいかに高い確率で成功させるかなんです。つまり、高確率で成功させなきゃいけないプレーは、確実に成功させなければいけません。そういう確率の高さが求められるプレーでミスをしてしまったことが、私たちの敗因になったと思います」
━━そこからは酷暑の中、かなりのハードワークでチームを仕上げてこられたと聞いています。
「当たり前のプレーでミスが出ていたので『基本的な部分から考え直し、徹底的にやっていこう』と選手たちに話をして、彼らもそこを共有してくれました。夏の暑い時期に追い込み合宿を行って、全員が決められたエリアに転がさなければ終わらないバント練習をやったり、1時間以上ノックしたり。今年の夏はとりわけ暑かったので、選手たちも苦しかったはずです。でも、これは選手たちの思いがどれほどのものなのかを確認する場でもありました。私自身も選手たちと暑い夏を一緒に乗りきるんだと腹を括り、練習が始まったら同じグラウンドに立って“一緒に戦うんだ!”という思いを表現しました。実際にこういうことをやっていくうちに、選手たちの気持ちがどんどん良化していくのがわかりました。そこから“ひょっとすると、選手権ではやってくれるんじゃないか”という思いがふつふつと湧いてきましたね。と同時に“なんとか勝たせたい”という責任も湧いてきました」
━━監督の現役時代も含めて、JR九州といえば以前から厳しい練習をこなしているというイメージが強いです。
「サーキットトレーニングを中心に、当時と同じようなことはやっています。自分たちがそういう厳しい練習で成長させてもらいましたからね。ただ、やり方や伝え方は変えています。でも『これぐらいの思いで、これぐらいのことをやらないと、上には辿り着けなよ』ということだけは言い続けていかないといけません。方向性や目標、目的はみんなで共有しなければチームが崩れていきますからね。それができたからこそ、日本選手権の代表権を獲ることができたのだと思います。今は精神論が否定されがちな風潮です。しかし、野球の技術を上達させようと思ったり、試合に勝とうとした時には、そこに“思い”がなければ願いは叶いません。一方で、夏の暑さの中で『気合いだ、根性だ』と言ったところで簡単に勝てるわけでもなくて。昔みたいに叩き上げで強くなっていくのもひとつの考えだと思いますが、それだけでは選手たちが付いてこない時代になってきているのかもしれません。でも結局のところは、昔からのJR九州の野球がベースであることに変わりはないのです」
━━ちなみに現役時代はどれだけのハードメニューをこなしていたのか。お話いただける範囲で教えてください。
「私たちの頃は外野のポール間をタイヤ押しで何往復もしていました。途中で止まったら怒られるので、それはもう必死でやっていました。サーキットトレーニングもかなりハードでしたが、私は走ることが苦手だったのでランメニューが本当に苦しかったです。最初の走り込み期間はポール間走をしたりタイム走をしたり、2時間ぐらいひたすら走っていました。そのあとにサーキットトレを15周から20周。まったくボールを触らないんですよ。JRのグラウンドでオープン戦をやると、ピッチャーは四球ひとつにつきグラウンドを10周走らされていました。2個出したら20周ですよ。それだけで練習が終了してしまいますよね。先輩方はもっとハードだったという話ですけどね(笑) でも、そういうことも自分を見つめなおすいい機会だったかなと思うんです。冬のああいうハードなトレーニングがあったからこそ、夏につながったのではないでしょうか。『冬を制する者は夏を制する』という言葉の通りだと思います。でも、それだけキツい内容であっても、監督の吉田さんには愛情がありました。真似はしたいんですけど、ちょっと無理ですね(笑)」