神谷嘉宗監督が明かす「ノーサイン野球の作り方」 (エナジックスポーツ後編)
指導スタンスの変革期に出会った「ノーサイン野球」
2021年8月。神谷嘉宗監督は同年4月に開校したばかりの、エナジックスポーツ高等学院の野球部監督に就任した。
エナジックスポーツは全寮制で野球のスペシャリストを育成する専門コースを設け、前述のように創部3年で沖縄県内のトップランナーに浮上。また、この春卒業した1期生の中から早くもプロ野球選手が誕生(西武ドラフト6位の龍山暖)しただけでなく、1期生の16人全員が日本情報処理検定協会の3つの検定試験で1級合格を達成するなど、文武ともに秀でた成績を残している。
すでに多くの報道で広く知れ渡ることとなったが、エナジックスポーツの野球といえば、セイフティバントやエンドラン攻撃などを、ノーサインで積極的に仕掛ける「ノーサイン野球」である。ベンチからサインはいっさい出ず、すべて選手たちの判断で戦術を選択し、実践するのだ。
「ウチがやっているアイコンタクトでのノーサイン野球を教えてくれたのは、東亜大の中野泰造さんなんですよ。私が美里工に転勤した年に、東亜大の野球を見て勉強しました。初めてその野球に触れた時にはビックリしたけど、本当に魅力的でしたね」
1994年の明治神宮大会で一大センセーションを巻き起こしたのが、当時は無名の存在だった山口県の東亜大である。創部4年目。選手たちも無名揃いだったが、足を活かした自在の仕掛けで中央の名門大を次々に撃破し、あれよあれよと明治神宮の頂点に立ったのだった。2003、04年にも神宮大会を連覇するなど、大学球史に輝かしい金字塔を打ち立てた東亜大。その礎を築いたのが、ノーサイン野球でチームを全国的強豪に育て上げた中野氏だった。
「美里工への転勤時期は、ちょうど僕の中で指導スタンスに変化が起きたタイミングでもあるんですよ。中部商時代の前半までは『俺に付いてこい』というスタイルで、ガミガミ怒鳴り散らしていました。浦添商の時も、ガミガミは緩和されたけど、違うやり方でプレッシャーをかけていた気もします。ところが、100人前後の部員を相手に、だんだん動けなくなってきちゃった。だから、これからはリーダーを養成する指導に切り替えようと思ったわけ」
リーダー養成のためには、自主性を植え付けなければならない。そのためにも、ノーサイン野球はうってつけだと神谷監督は考えた。しかし、生徒にすべてを委ねるやり方は、かなりの思いきりと覚悟がなければ踏み切ることは難しい。その点「僕の場合は野球だけでなく、全国大会や県で優勝するほどの他競技に真剣に取り組んできたことも、活きているのかもしれないな。他の人なら二の足を踏むような指導にも、思い切ってチャレンジできるから」という神谷監督に、躊躇はなかった。
ノーサイン野球の作り方
2014年のセンバツに出た頃は、まだベンチからサインで動かしていたという。実際に試合でノーサイン野球を始めたのは美里工の後半からだ。ただ、ランナー三塁の時だけは、神谷監督がサインを出した。最大の得点機が訪れると、生徒が自分たちでサインを出す勇気を持てなかったからだ。
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