STAP細胞騒動に学ぶべきこと- [娼婦の無許可撮影を考える 6 ]松沢呉一 -2,005文字-
「大橋仁問題に見られる手続論と作品論の混同- [娼婦の無許可撮影を考える 5 ]」の続きです。
ルール違反に対処する適切な方法を議論すべし
以前から言っていることの繰り返しです。
たとえば、ある小説が盗作だった場合に、その作品がいかに素晴らしくても、その前にアウトというのがこの社会のルールです。
権利関係をクリアしていれば、その作品には問題がなく、公開する意義があると判断できる場合、事後であってもクリアすればいい。文章を書き直すか、著作権者に連絡をとって金を払うなりなんなりをして、改めて世に出す。
その作品はすでに汚れてしまっているし、著者自体がアウトなので、出し直しても評価できないこともありましょうけど、ホントにうっかりで起きてしまう著作権侵害もありますから、その場合は手続をクリアして出し直せばいいのです。出し直しようがないものは葬ればいいとして、法としてもモラルとしても相手が納得すればいいことです。
実際、そう感じるケースがあるんですよ。具体例を出してこれについても論じたことがあるんですけど、「ただのケアレスミスじゃないか」と思えるのに、出版社は絶版を決定してしまう。
出版社にとって回収、絶版という処分は大損害ですから、なかなか著作権侵害があったことを認めず、指摘されても悪あがきを続けるものです。しかし、言い逃れができなくなると、あっさり回収、絶版処分にしてしまいます。ちょっと違うと思うのですよ。
作者は「パクリ野郎」と言われ続け、その作品は二度と陽の目を見ない。最低限、著作権についてはわかっているつもりの私ですけど、私もミスはあり得る。誰でもあり得る。であるなら、その侵害の内容や度合いによって、対応が違ってきていいはずです。
編集者でも本人でも菓子折りをもって挨拶に行き、金で解決できるんだったら使用料を払って、名前を記載することで済むならそうして、出し直せばいい。
著作権侵害は批判されていい。書き手も出版社も細心の注意を払うべきであり、それで飯を食っているのに、著作権について無知であっていいはずがない。しかし、その対応についてはもっと柔軟でいい部分があるんだと思います。
今から言っておきますが、私の書いたものが侵害された場合は、たいてい金で解決できますので、絶版にする前に、メールをください。金額は応談。
手続きをクリアしていない研究は評価できないのが科学のルール
手続を正しくクリアしていないと評価ができないのは、表現というジャンルに限らないことです。むしろ、他ジャンルでは、手続の瑕疵には厳正に対処していて、手続ミスをケアする方法についてもすでに確立されているため、そちらを参照にしたい。
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