松沢呉一のビバノン・ライフ

自他共に認める文章が下手くそな作家・曽野綾子の忘れられない一文-松沢呉一 -2,334文字-

結論は「曽野綾子は文章が下手くそ」

 

vivanon_sentence曽野綾子の件は、自分でも言っているように、「文章が下手」というのが結論でしょう。

 

 

「まずい文章だって言われれば、そうかもしれないなっていうことは言えますけど。まずい文章っていうのは『下手くそ』って意味でね。『しまったことを書いた』って意味じゃないんです」

J-CASTニュース

 

 

下手にもほどがあります。正確には、ただ文章が下手なのでなく、文章を書く際に必要とされる想像力や論理性が欠落しているってことです。文章が下手でも、いい文章、的確な文章は存在しえますが、曽野綾子にはありえません。小説ではありえるのかもしれないですが、こんな人が社会を論じてはいけない。少なくとも公刊される新聞や雑誌で書かせてはいけない人です。

おそらく曽野綾子は、本当に、アパルトヘイトの肯定ではなく、近所新島 くさや 味付のおばちゃんレベルで、「周りが日本人じゃないと、くさやの干物が焼けなくて困るわねえ」と言いたかったのかもしれないですけど、そう言いたかったとはっきり自覚していたわけでもなく、何が書きたいのかも明確ではないまま、書いてしまった文章なのでしょう。そのくらいいい加減に文章を書いているのだし、そのくらいいい加減にしか文章を書けない人なのだと思います。

くさやの干物なんざ、そのまま食える瓶詰めを食っとけ。

近所のおばちゃんと違うのは、そこに海外の例を持ちだして、それらしく見せる虚栄があることです。どうにもならず、無思慮で薄っぺらな虚栄。南アに行った時期もいい加減、それが見たことなのか、聞いたことなのかもはっきりしない根拠らしきことを書いてしまう杜撰さ。

それを指摘されると、「差別じゃなく、区別だ」と言い逃れしようとする。日本も加入している人種差別撤廃条約を読んで差別の定義を知っておけ。

 

 

こんな文章を平気で書ける曽野綾子と、平気で掲載する産経新聞

 

vivanon_sentenceといった話はいろんな人がすでに指摘しているので、この上、私が書くまでもないかと思っていたのですが、過去に私はこの人に対して激烈な怒りを感じたことが幾度かあります。

自分の書いた原稿を「曽野綾子」で検索したら、以下の文章を批判した一文がひっかかりました。

 

 

17日間のアフリカ旅行の間に、ブルキナファソでもマダガスカルでも、何度も停電があった。或(ある)いはついている電灯がすっと暗くなる。電圧が安定していないのである。
家に帰ると嵐だった。それでも東京の電気の明るさは微動だにしない。この事実に少しも感動もせず感謝もしない日本人が、私は不気味である。
学校その他に避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛布を支給されていた。一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならないか私はわからない。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠って当たり前だ。それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負って避難するだけの個人の才覚の訓練が要る。
お弁当なども行政は配る必要はない。天気予報を聞くことができるシステムがあるのだから、自分で歩けない老人や障害者は別として、避難する時、食料は自分で持って来るのが世界の当然だ。台風は教育のチャンスでもあるのに、それを少しも利用していない。

日本財団

 

 

曽野綾子らしさが横溢した文章だと思います。くさやの干物の比ではなく、悪習をまきちらす文章です。

検索してみたら、私だけではなく、今回のことで、この文章を思い出した人は多いようです。今読み直しても腹が立ってしょうがない。

これは2004年に新潟や福島であった集中豪雨のことを指しています。死者16名を出し、2万を超える家屋に被害が出たことを覚えている人もいるでしょう。忘れたくても忘れられない人たちもいます。

 

 

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