夢をなくした娼妓たち-「吉原炎上」間違い探し 37[ビバノン循環湯 112] (松沢呉一) -3,439文字-
「善人を悪人にするテレビドラマ-「吉原炎上」間違い探し 36」の続きです。
成り上がるためのほとんど唯一の道
遊廓には身分制度のガス抜きという側面もあった。
初期を除いて、遊廓では身分は関係がない。武士も商人も同じ扱い。遊廓のルールを破れば武士でさえも制裁を受ける。そして、遊女たちも生まれた身分は無関係。魅力があれば人気が出る。外の世界の身分を離れて、惚れた腫れたが繰り広げられ、客が金を持っていれば、かつ遊女が同意すれば身請けをし、金がなくても年季を終えれば結婚するなり、妾にするなりできたわけだ。
遊女の側から言えば、遊女にならない限り、ほとんどありえなかった飛躍的なランクアップが可能だったわけだ。明治になってもしばらくこの状態が続く。
「遊廓を維持したのは家族制度と道徳だった」にスクリーンショットを出したが、明治時代の細見には、娼妓の出身地や本名、年齢も出ている。ものによっては番地までが出ていて、家を訪ねることができる。
見えにくいが、以下は名古屋の旭廓(中村遊廓)の細見である「きぬぶるい」(「きぬふるい」とも)の明治十七年版。
もっとあとの時代の「きぬぶるい」には一人一人の寸評まで出ている(拙著『エロスの原風景』参照)。寸評はわかるとして、なぜ実家の住所まで掲載したのか。なぜ娼妓や家族が嫌がらなかったのか。私も未だはっきりとはわからないのだが、身請けをする際に、家を確認するためだったのだろうと推測している。
いかに好きな娼妓と一緒になれたとしても、のちのちまで家族に金の無心をされてはたまったものではないので、実家の状態を見ておき、近所の人に親の評判を聞いておきたい。あるいは娼妓本人より先に親の承諾を得ようとするのもいたろう。なにがしかの金を積んでおけば娼妓も断りにくい。
ということであれば親としても歓迎だったのではないか。トップレディーだった時代にはそうじゃなくても抵抗はなかったろうが。
そのくらいに客が娼妓を身請けしたり、年季後に結婚することが当たり前にあって、貧しい実家、ろくでもない親のいる実家に帰ることではなく、多くの娼妓たちは、それを望んだ。貧しい実家に帰ったところで、玉の輿に乗れる可能性などない。同じく貧しい家の男と結婚して、貧しい暮らしを続けるだけだ。
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