女工はいくらもらっていたのか-『女工哀史』を読む 9-(松沢呉一) -3,304文字-
「百万の悲惨を無視する不思議-『女工哀史』を読む 8」の続きです。
性欲を奪われた者たち
「籠の鳥」であれば、少なくとも姿を見てもらえ、声を聞いてもらえる。愛情を注ぐ人たちもいる。しかし、「豚小屋の豚」では、それも期待できず、過酷な使用に耐え得る、労働する機械に徹するしかない。女工は欲望を去勢され、性欲さえも奪われ、資本主義は人間を昆虫まで引き下げたと細井和喜蔵は慨嘆する。
その果てに、女工は同性愛に走るか、自慰をするしかなかったのだと。
併し乍ら自由に、異性と相対的恋愛を構成する権利と機会を喪失した女工の間には、同性愛の変態現象がよくある。否、甚だ多いのである。而して之れが精神的に相愛する丈けに止まらず概して極端な肉体的行動に及ぶのである。(略)
堀としをの実見によると二人寝の寄宿舎で夜中ひそかに掛け布団をまくって見れば、音無しく並んで寝てゐる者は少なく、唯だ単に寝様を崩してゐる者三分、あずったが故に二人の体が触れ合ってゐる者三分、而して後の四分が故意に抱擁したものだといふ話しである。
「あずる」というのは中国地方の方言で、「動き回る」の意味。とくにこのように寝相が悪いことを指す。
抱擁して寝ていたからといって、それを同性愛行為とするのは無理があろうが、男とできない環境で、代償として同性に走るのが多くいたのは事実なのだろう。軍隊でも刑務所でもよく聞く話だ。
女工は、工場主や男子工員らにいいように弄ばれることはあっても、それ以外では、同性愛か自慰でしか性欲を発散できないのに対して、細井和喜蔵は、娼妓はまだしも性欲が満たされる仕事であると考えていたように読める。「性欲が満たされる仕事」よりも、「性欲さえ奪われる仕事」の方が過酷であるという見方をしている。
あるいは「性行為を金銭に換算できる仕事」と、「タダで提供する仕事」との比較でもいいのだが、廃娼運動は、前者こそを批判した。これが廃娼運動が根拠とする道徳をよく見せている。
それが金銭となり、よりよい生活ができているとしても、不特定の男たちを相手にする娼妓を彼らの道徳は許さない。役付の男らが、女工に無理強いしていたとしても、また、それが金にならなくても、女にとっては男が一人であれば許せるのである。まして、性欲を奪われ、禁欲を強いられる工場であれば願ったり叶ったり。
この道徳が今も性風俗否定、売春否定の根拠になっている人たちが多いことを見抜くべし。労働という視点が欠落し、ただひたすら道徳を護持することに躍起になる道徳主義者どもめ。
女工の収入
道徳ではなく、労働としてとらえた時に、「どっちがましか」「どっちが過酷か」はもはや言うまでもなかろう。
細井和喜蔵は、先に引用した文章で、「美の享楽」の自由度を比較していたが、ここでの「美」を、見た目の美しさに限るなら、娼妓の美は、客に受けるための技術であって、「娼妓には美を追求しない自由はなかった」とも「自身の美を追及する自由はなかった」とも言える。
しかし、細井和喜蔵の言う「美」は衣食住のあらゆる面においての快適さを意味していて、ほとんどすべての点で、女工の労働環境は、娼妓のそれに劣っていたと言っていい。
労働環境は悪くとも、住まいが「豚小屋」でも、それに見合った収入を得られればいいかもしれない。娼妓たちは雀の涙ほどの金しか得られなかったと言われがちだが、では、女工たちはそれほどいい金を得ていたのか?
女工の前借はわずか十万円程度だった
当然、時代によっても、工場によっても違い、『女工哀史』にはいろいろな数字が出ているが、ここでは、前借五十円という数字を見ていこう。これは大正十一年に「婦人公論」に掲載された細井和喜蔵の文章で取りあげられた亀戸の私娼の話で、彼女が最初に女工になった時の前借だ。
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