松沢呉一のビバノン・ライフ

宮本百合子も平塚らいてうも矯風会を批判-『女工哀史』を読む 14-(松沢呉一) -3,434文字-

花園歌子の矯風会批判-『女工哀史』を読む 13」の続きです。

 

 

 

宮本百合子の矯風会批判

 

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前回、花園歌子の矯風会批判を取り上げた。この人ほど的確に廃娼運動の本質を見抜いていた人はいないのではないかと思うが、「芸者ごときの言うことなど信用できるか」と肩書や知名度でしか判断できない人たちのために、次の論客をご紹介する(なお、花園歌子自身、社会はそのような見方をするだろうと織り込み済みだった)。

宮本百合子も矯風会を批判している。

 

秋田の方の故郷で暮している鈴木清というプロレタリア作家の『進歩』に発表された通信は、東京の愛国婦人会や何かが、まるで農民が道徳をさえわきまえぬ者で娘を売るように口やかましくほんの一部の身売り防止事業などに世人の注意をあつめ、窮乏の真の原因とその徹底した打開策とを大衆の目から逸らさせようとしていることに立腹を示したものであった。

(略)

今日娘の身売りは、道徳的な方面からだけ問題を見る方向へそらされて、徳川時代から引つづいたそのような風習の根源である、東北の農民の歴史的窮乏の経済的原因は、後の方へ引とめられている。もし愛国婦人会や矯風会が本当にそういう事を防止するために一般婦人の力を糾合するのであるなら、それらの婦人に先ず第一、小作制度の本質をつきとめさせ、農民の負うている負債の性質について実際を理解させなければならないのであろう。そのような根本的な点にふれぬために現代の社会機構について知識のうすい婦人の層を動員しての身売防止運動であることは、既にしれわたった事実であると思われる。

「村からの娘」

 

貧しき人々の群ほか (宮本百合子名作ライブラリー)先の段落では、「東京の愛国婦人会や何か」とされている矯風会だが、日露戦争の際に戦争に積極的に加担し、最初に慰問袋を送った団体だけあって、昭和十年には、すでに戦時体制構築のために動いていた愛国婦人会ともともに問題の本質から目を逸らすべく活動をしていたことがよくわかる。

すでに説明したように、呆れた親がいたのは事実。しかし、昭和初期の東北における凶作による身売りはそれとは別である。

小作農の困窮ぶりを知らないはずもなかろうに、それでも道徳を掲げるだけで問題が解決するかのような彼らの姿勢に疑問や憤りを感じた人たちは多かったろう。信仰でメシが食えるのは職業宗教家だけだ。

そのことはこの時点で「既にしれわたった事実である」と宮本百合子が思えていたのは当然のことで、あまりに多くの人たちが同様のことを指摘しているのだ。

どうしてそのことを忘れ、あたかも矯風会らの運動が人権運動だとか、婦人運動だとか評する人が今は多くなってしまったのか。ただの宗教、ただの道徳運動として扱うべし。

※宮本百合子の一文は先日Facebookで知人に教えられたもの。的確な指摘なので、ここに加えておいた。

 

 

平塚らいてうと女工問題

 

vivanon_sentence大物が次々登場。

平塚らいてう著『女性の言葉』(教文社/大正15)は雑多な批評文や随筆を集めたものなのだが、「我が国における女工問題」という章が設けられており、この章は自身が見た女工の実例から始まる。

平塚らいてうは一年間のうちに八人の女中を雇っているのだが、そのうち四人までが肺病を患っており、四人のうちの三人は元女工であった。

細井和喜蔵が嘆くように、彼女らもまたそのことをどうとも思っておらず、工場に行けば酷使され、工場で働けばたいていは体を壊すものと最初から思っており、平塚らいてうが病院に行かせ、病気であることがわかったことで、かえって医者と著者を恨む有り様に、その無知、無自覚さを嘆く。

これ以降は、一般的な女工の労働とその問題点を述べていく。安い使い捨て労働力としての女工が必要とされている事情、それを支える家族制度、その改善に必要な女子組合といったテーマで論は進んでいく。

婦人運動に関わる以上は、女工問題から目を逸らすことができない。当然であろう。婦人問題に取り組む以上、ここに取り組まない矯風会はいかにもおかしい。平塚らいてうのこの本には矯風会と矢島楫子に対する激烈な批判文「矢島楫子氏と婦人矯風会の事業を論ず」も収録されている。

 

 

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