松沢呉一のビバノン・ライフ

今も起きているかもしれない事件-「白縫事件」とは? 1-(松沢呉一) -4,020文字-

白縫という娼妓

 

vivanon_sentence大正時代に白縫(しらぬい)という娼妓がおりました。自由廃業(自廃)を求めて救世軍に駆け込み、ふくらんだ前借をマケさせて娼妓を辞めた人物です。警察が間に入ってはいても、刑事事件になったわけではないですが、これを「白縫事件」と呼ぶこともあり、ここでもその呼称を使用します。

この白縫のエピソードは、娼妓のすべてではないにしても、自廃したがる娼妓の中に確実に存在していた、ある層の実情を雄弁に物語り、よく言われる「借金が減らない」という娼妓の事情が現実にはどういうものであったかまでを知ることができるという点で貴重な記録です。

白縫と救世軍、楼主のやりとりは「コントか」と突っ込みたくなる展開でありまして、読み物としても非常に面白いものです。

昨今のAVバッシングについて話している際に、この白縫のエピソードを持ちだしたのがいます。カメラマンの酒井よし彦です。「おー、白縫を出してくるとは、さすがに吉原に詳しいだけのことはある」と感心しました。

一世紀前の話と今現在との間に共通点があるかもしれないと気づいた点もさすがです。私はこの話を現在に結びつけて考えていませんでしたが(つうか、読んだっきり忘れてました)、たしかに通じるものがありそうです。

「AVに強制出演させられた」と報じられるニュースを見ても、どこに強制があったのか不明のものがあります。「これはただの労働派遣法違反だろ」としか読めない。詳細がわからないため、「強制などなかった」とも断定できないのですけど、相当におかしなことが進行していることは間違いない。

白縫事件」と同じようなことが今また起きているのではないか、今はまだ起きていないのだとしても、社会の偏見が強制ではないものを強制だと強弁する流れを作り出しかねないのではないかと疑っておくことは必要かと思います。

※すぐに出てくる所蔵の花魁道中の写真はおおむね使ってしまったので、ここに出したのは国会図書館で検索したら出てきた花魁道中の写真。瀬川光行編『日本之名勝』(明治33年)より。白縫とは無関係ですが、おそらくこれは明治最後の花魁道中だと思われます。

 

 

ウィキペディアの記述に見る歴史の改竄

 

vivanon_sentence改めて白縫のことを「ビバノン」で取り上げておこうと思って、ウィキペディアを見て呆れました。

以下は2016年7月現在の記述です。

 

 

 

本名は山中つる惠で広島高等女学校を卒業し、最初は東京新橋で芸妓「小美野」として在籍したが母親の借金により吉原の貸座敷「角海老楼」へ娼妓として移籍した。1914年4月、白縫は風邪で療養していたが、楼主らよって起こされ、明治以降途絶え大正博覧会開催を契機に復活した花魁道中に無理やり参加させられた。肉体的、精神的苦痛を受けた白縫は、1915年4月10日、客として来ていた相場師の紹介により、銀座の救世軍本部へ自動車に乗って駆けつけ救済を求めた。その時の担当であった伊藤富士雄と共に警察に赴いたが、その後角海老の楼主に連れ戻されそうになった。しかしながら白縫は抵抗し自分の境遇と廃業理由を訴え、交渉の末、廃業が受理され自由の身となった。 その後、救世軍の山室軍平は当時の警視総監・伊沢多喜男に花魁道中廃止の陳情を送り、道中は禁止された。その事件は廃娼運動を活発させ、それを題材にした作品が世に出回った。 白縫はその後、自分の借金の一部を支払ってくれた男性と結婚し広島に帰郷した。

 

 

これでは白縫のしたたかさ(「賢さ」「ずるさ」「厚顔さ」と言い換えても可)がまったくわからない。白縫の主張が鮮やかにひっくり返されるところにこのエピソードの面白さがあるのに、白縫の主張をそのまま事実かのように書いているため、事実もわからないし、面白さもわからない。

白縫譚それを題材にした作品が世に出回った」とあって、これでは小説になったり、戯曲になったりしたようですが、「白縫事件」は、事実としていくつかの本に取り上げられてはいるものの、それ以上のものになったとの話は聞いたことがなくて、江戸の「白縫譚」を誤解しているのではなかろうか。

ここは私が知らないだけかもしれないですが、それ以外の記述も、資料としてまったく使えないものです。

この記述からわかるのは、これをまとめた人物が「文章を正確に読むことができない無能な人間である」、または「事実よりも、自分の頭の中にある物語の方が重要と考える歪んだ道徳主義者である」、または「女はつねに意思のない被害者でなければならないと思い込む差別者である」ということだけであり、白縫のことを正確に知ることは不可能です。

まさに、このウィキペディアの記述自体が「セックスワークに関する記述は容易に歪められる」という例となっていて、今も昔も変わらないことの証明とも言えます。「ウィキペディアはそんなもん」とも言えるのですけど、一方でしっかりとした項目があるのに、こういうデタラメの項目がウィキペディアの信頼性を落としてしまうのが残念です。

また、ウィキペディアじゃなくとも、この領域ではそういうことが起きやすいことはここまで「ビバノンライフ」で書いてきた通りです。ウィキペディアを直したところで、次から次とこういうのが出てきてしまいます。なんとかならんもんか。

 

 

白縫事件の真相

 

vivanon_sentenceこのウィキペディアの記述の元ネタとして挙げられているのは、波木井皓三著『大正 ・吉原私記』一冊のみ。この本の記述はしっかりしているので、元ネタが一冊であることが問題なのではありません。その記述を正確に読み取れない問題。あるいは読み取れているのに正確に伝えようとしない問題。

この本では、まず沖野岩三郎による「白縫事件」についての記述(大正10年)を6ページ弱にわたって引用。続いて、吉屋信子著『ときの声』(昭和39年)からも6ページにわたって「白縫事件」の記述を引用をしています。以下、沖野岩三郎による記述を「沖野版」とし、吉屋信子による記述を「吉屋版」とします。

どちらの版もこの場に居合わせた救世軍の伊藤富士雄の手記に基いています。しかし、中身が少し違っています。沖野版は事件から間もない時期のものにもかかわらず、記述に不正確なところがあって、著者の波木井眸三は、吉屋版でそれを訂正し、さらに他の資料と照らして、不明点をクリアにするという構成になっています。

ここまで丁寧な検証をしているのに、ウィキペディアの記述はすべて無意味にしています。

 

 

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