松沢呉一のビバノン・ライフ

ポルノはポルノとして楽しむべし-『親なるもの 断崖』はポルノである 14(最終回)-(松沢呉一) -2,352文字-

児童陵辱ポルノに感動する人々-『親なるもの 断崖』はポルノである 13」の続きです。

 

 

正しくジャンルを選択すべし

 

vivanon_sentence大変長くなりましたが、これでこのシリーズは終了です。

前回書いたように、フィクションだからと言って何を書いてもいいわけではなくて、歴史を踏まえた上で、あり得る範囲で物語を作るのが歴史小説です。

もちろん、編集者が言うように、ジャンルによりけりで、あり得ないところまで踏み込んでいいジャンルもあります。たとえばSFやファンタジー、コメディがその典型です。予め現実とは違う虚構を組み込んでいることを読者も了解をしている。

しかし、もし推理小説で「犯人は超能力で凶器を瞬間移動させた」「祈祷で人を殺した」というトリックだったら「詐欺だ。金返せ」と言われましょう。このジャンルでも、起き得る範囲のことしか創作してはいけない。

このように、「どこまでが許されるのか」はジャンルという枠組みや個別の作品の打ち出しで決定します。その点、『親なるもの 断崖』はリテラシーなき読者に「十一歳、十三歳の少女が鑑札もなく娼妓になることはあり得ない」ということを読者に伝えていません。

これはやってはいけないことだというのが私の考えですし、世間一般の考えだろうとも思います。

「小説と漫画は違う。漫画はいい加減でいい表現である」という意見もありましょうし、私もそう思わないではない。しかし、この意見は「漫画を読んで歴史を知ったと思い込む、おっちょこちょいなボケカスは存在しない」という前提があって初めて成立します。現実には「これが歴史の真実だ」と思い込んだボケカスが多数いた以上、この意見もまた無効です。

だったら、デタラメが許される体裁で出せばよかっただけなのです。簡単な話で、ポルノとして出せばよかったのです。それこそを目的とした漫画なんですから。

※図版はDL販売用のバナー。虚構の少女をこれでもかと強調。

 

 

『親なるもの 断崖』は『バルカン戦争』である

 

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親なるもの 断崖』は歴史的にあり得ない児童陵辱を描いていて、遊廓はそのための虚構の設定でしかない。読者も虚構の児童陵辱に食いついて喜んだ。

バルカン戦争 (謎の訳者の古典ポルノ) ウィルヘルム・マイテル著『バルカン戦争』という小説があります。第一次世界大戦という現実の戦争を背景にして、陵辱の限りを尽すポルノであり、戦前から日本でも繰り返し翻訳されている名作と言われるポルノです。

こういったことがあったかもしれないし、なかったかもしれないわけですが、ここでは現実にあり得たかどうかは問われない。「史実と違う」と指摘する人はまずいない。ポルノですから。

親なるもの 断崖』も正しく児童陵辱ポルノとしてゾーニングされた場所と方法によって出せばよかったのです。18禁のポルノであることを表示して販売する。書店では18禁のコーナーで販売して、子どもには売らない。

なぜポルノだと時代考証が正確ではなくても許されるのか。「時代考証を求めるほどの社会的価値があると思われていない」ということも関係しているのかもしれないですが、このジャンルは性的な欲望をかきたてることが目的とされるためです。

 

 

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