松沢呉一のビバノン・ライフ

南喜一の闘い-玉ノ井私娼解放運動の挫折-[ビバノン循環湯 128] (松沢呉一) -7,298文字-

「自由廃業の結果-「白縫事件」とは? 7(最終回)」で、救世軍のやっていたことはただの借金の踏み倒しであり、新たな借金をして売春稼業を続ける手助けでしかなかったことを雄弁に語る記録があると書きました。南喜一著『ガマの闘争』です。この本は本当に面白い。かつ意義のある内容ですので、古本屋で見つけたら、迷わず買うことを勧めます。そんなに珍しい本ではなく、高くもありません。南喜一の著作全集にも入っていたはずです。ただし、この本以外の著作は、だいたいエロ話ですので、当惑するかもしれない。この本については以前まとめたものがあるので、循環させておきます。すでに消えてますが、ネットで公開していた長文の一部です。長いですけど、一度に出します。

 

 

神崎清の言葉

 

vivanon_sentence多くの娼妓は逃げても無駄であることを知っていたため、逃げる気などありはしなかった。「なぜ逃げなかったのか」との疑問は「なぜ自由廃業しなかったのか」との疑問にも通じる。

救世軍らによる自由廃業の呼びかけに応じる娼妓は全体からすると一部でしかなかった。借金を棒引きにして、自由になれるチャンスがあったにもかかわらず。

借りた金を踏み倒すような図々しいことができなかったとの事情もあるし、もし踏み倒したところで、そのあともまた売春生活をすることになるとわかっていたからだ。その場合、多くは私娼になる。銘酒屋等、私娼の経営者のすべてが悪質だったわけではないのだが、公娼よりも過酷な生活が待ち受けていることもある。

だったら、いい客を見つけて身請けしてもらった方がいいと考えるのは不思議ではない。私娼よりも公娼の方が金のある客が来るのだから。

現に自廃をしても、売春を続けた女たちは多かった。それでもひとたび借金は消える。あるいは少なくなる。そのためにウソをつくのも厭わなかった。

それができる女たちは自廃し、そんなことができない女たちは踏みとどまった。

神崎清著『戦後日本の売春問題』(1954年・昭和29年/社会書房)の中に、こんな言葉がある。

 

ある業者は、娼妓の中に前借を泣きたおし、警察に虚偽の訴えをして同情をひき、自由廃業をするずるい女が多かったとこぼしている。

 

神崎清は売春反対の立場の人物であり、売防法制定にも尽力している。しかし、こういう話もしっかりと書くところが神崎清を評価できる点である。

廃娼派はこういう現実を知っていた。それでもキャンペーンに利用した。

もちろん、これがすべてではなく、このような救済活動があったことによって救われた女性らもいたろう。しかし、その女たちもまたやがては売春業に戻ることが多かったのである。

※玉ノ井で廃業した女たちの写真と手紙。『ガマの闘争』より。以下同。

 

南喜一という人物

 

vivanon_sentence南喜一は一八九三年(明治二六)に金沢に生まれた。上京して人力車夫、演歌師などをしながら早稲田大学理工学部を受験して合格。しかし、中退。

二十代前半で、セッケン廃液よりグリセリンを製造する工場を興し、続いて硬質ゴム製造の特許をとってゴム製造会社を経営。

しかし、関東大震災時に左翼運動をやっていた弟と朝鮮人工員が虐殺されたこと(亀戸事件)を契機に会社を解散して自ら労働運動に身を投じた。そのため、投獄され、やがて共産党に入党してまたも投獄される。

太平洋戦争直前に転向し、ふたたび経営者に戻り、戦後は国策パルプ、日本クロレラ、ヤクルトなどの経営にも関与して、財界の大物として名を残した。

現ヤクルトスワローズが、一九七〇年、産経グループの経営からヤクルトの経営になった時のヤクルト会長であり、この決定をしたのも南喜一である。

揺れ幅が大きくて当惑するが、活動家としても技術者としても経営者としても能力が高かったようである。

そして、昭和初期、共産党を脱党したあと、玉ノ井で私娼解放運動をやっていることから、私はこの人物に大いに興味を抱いた。

これについては南喜一著『ガマの闘争』(一九七〇年・三笠書房/一九八〇年・蒼洋社より新装版発行)に詳しい。「ガマ」は南喜一の愛称で、他の著書でもこの言葉をタイトルに入れている。

年老いてから、若い時分のことを振り返って、その闘いぶりをドラマチックに仕立てたものなので、記憶が定かではない部分もあろうが、どうやら几帳面な記録魔だったようであり、この本には当時の資料が多数掲載されていて、納得できるところが多い。

 

吉原玉子のウソ話

 

vivanon_sentenceこの本では、南喜一が敵としてみなし、乱闘騒ぎも起こしていた玉ノ井の業者の悪辣さがこれでもかと描かれている。事実、公娼に比して、私娼の経営者は、法の及ばないところで商売しているだけあって、ひどいのがいたのである。しかし、すべてを通して読むと、その悪辣さの何割かは差し引く必要があることがわかる。

南喜一もまた女たちのつくウソに翻弄されていて、女たちから聞かされる経営者の悪辣振りは、相当までに誇張されているものだったと思われるのだ。

続・ガマの聖談』(一九八〇年/蒼洋社刊)にも、ウソをつく私娼のエピソードが出てくる。

一九三四年(昭和九)のこと。南が設立した「玉ノ井女性向上会」の事務所に一人の女が訪れて、廃業したいと申し出た。源氏名を吉原玉子という(これはさすがに仮名かと思う)。

彼女を廃業させるためには、その事情を知っておかなければならず、南は彼女の身の上を聞く。

 

 

 

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