「産めよ殖やせよ」体制を支えた婦人運動—共感できるフェミニスト・共感できないフェミニスト 10-(松沢呉一) -3,250文字-
「米国型女権主義と北欧型母性主義の対立—共感できるフェミニスト・共感できないフェミニスト 9」の続きです。
日本の惨状
米国型、北欧型が、それぞれに自己決定の範囲を拡大していったのに対して、日本はどうだったのか。
ざっくり言えば「母性保護論争」は米国型、北欧型のどちらを支持するのかの論争としていいでしょう。
与謝野晶子はこう言っています。
学者、女権論者、女優、芸術家、教育家、看護婦等に従事している婦人の内の或人たちが、その道とその職業とに忠実であり、熱心であるために結婚を避け、 従って母性の権利と義務を履行しないのは、男の側のそれらの道と職業を以て人類の幸福の増加に熱中している人たちの中の或人人が一生娶らずかつ父とならないのと同じく、全くその婦人たちの自由に任すべきものであると私には考えられる。
「母性偏重を排す」より
与謝野晶子も子どもを育ててますが、結婚と出産については「個人が決定すればいい」と考えていて、「女は出産と育児が役割」と決めつけることには辛抱ならないものがあったのでしょう。
しかし、その後の婦人運動家たちの動きを見ると、与謝野晶子のこの意見は通らず、「母性保護派」が勝利したと言っていいかと思います。これを決定づけたのは戦争です。
ただの良妻賢母思想とされたエレン・ケイ
ここで注意しなければならないのは、日本の婦人運動家の多くは、エレン・ケイの「悪いとこどり」をした点です。「いいとこどり」をしたように見えるスウェーデンのその後とは正反対に流れていきます。
与謝野晶子の「母性偏重を排す」を読んでも、エレン・ケイの主張の根底にあったラジカルな部分はまったく取り上げておらず、ただの「女は家庭に入るべし」という主張にしか思えませんが、これはもっともなことで、母性保護派もまたエレン・ケイの権利の拡大を目指す主張は無視して、「奴隷道徳」「依頼主義」としてエレン・ケイを利用したのです。
家族制度が強かった日本では、個人の自由を掲げるところまで至れず、旧来の家族制度に基づく結婚に対抗するものとして、キリスト教を背景とした恋愛結婚を導入。ここまではやむを得なかったとして、そこにエレン・ケイの「女は家庭に入るのが理想。子育てと家事に専念するのが理想」という考え方を加えました。
エレン・ケイは「離婚の自由によって現在の結婚制度が終りを告ぐる」と宣言していたのに、そこがなければただの制度の強化でしかなくなります。これでは与謝野晶子が「旧式な賢母良妻主義に人間の活動を束縛する不自然な母性中心説」とするのは当然かと思います。
だから、山田わかのような保守派もエレン・ケイの都合のいい部分を都合よく読んで礼賛しています(『昭和婦人読本 処女篇』ほか)。
この山田わかは嘲笑とともにマーガレット・サンガーを否定したのはすでに書いた通り。エレン・ケイは、避妊については直接触れていないと思いますが、性についての教育をすることを奨励していることから、産児制限論も全否定はしなかったはず。
しかし、エレン・ケイの「悪いとこどり」をしてしまった日本の婦人運動家たちは、産児制限という考え方を受け入れられない。産児制限は母性の制限に他ならないわけですから。
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