松沢呉一のビバノン・ライフ

イザベラ・バードが描く農村の貧困—エレン・ケイの思想(のある部分だけ)を再評価する 5-(松沢呉一) -2,645文字-

道徳が遊廓を維持し、その改善もさせなかった—エレン・ケイの思想(のある部分だけ)を再評価する 4」の続きです。

 

 

 

陰毛についてのイザベラ・バードの記述

 

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明治初期に東北、北海道を旅をした英人イザベラ・バードの記録を漫画にした佐々大河「不思議の国のバード」の中に、風呂場での陰毛処理についての記述が出てくるという話をFacebookで知りました。それは一大事。

イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)前に読んだ『日本奥地紀行』(平凡社ライブラリー)にはそんな記述はなかったかと思います。漫画家が創作したとは思いにくく、「だったら、こっちか」というので、『イザベラ・バードの日本紀行』(講談社学術文庫)を読み始めました。

内容がかぶりまくり。『日本奥地紀行』はバードの記録のうち、東北、北海道の旅行部分に絞ったダイジェストなのですね。最初から『日本紀行』を読んでおけばよかった。

上巻を半分くらい読んだ段階ではまだ陰毛処理の話は出てきません。家庭の風呂や温泉の記述は出てきますし、女子は首の後れ毛を抜いていたという記述も出てきます。日本では無駄毛を処理することが早くから行われていて、それが明治末期には脇毛を処理することにつながっていったわけです。

陰毛処理についても見つけたら、「毛から見る世界」シリーズで報告するとします。

 

 

明治時代の農村風景

 

vivanon_sentenceバードの旅行記を読むと、「いかに今より時間をかけた旅行だったにしても、よくもこれだけ正確かつ詳細に旅先のことを書き残せたものだ」と感心しないではいられません。風景、町並み、建物、植物、動物(馬、犬、蚤)、信仰、風習、儀式、体型、服装、髪型、気質、食べ物などなど。

庶民の生活で記述がないのはセックスくらい。売春宿のことはチラリと出てきますが、ヴィクトリアニズムの時代の女性でありますから、さすがに踏み込んだことを聞くのは憚られたのでしょう(追記)。

何度読んでも、農村部の悲惨な記述には目を覆いたくなります。

以下は著者が子どもに薬を与えたところ、効果覿面で、翌朝、その噂を聞いて著者がいる宿に詰めかけた人々の様子です。

 

 

押し合いへし合いしている人々のうち、父親や母親は皮膚病にかかったり、頭にやけどをしたり、白癬を持っていたりする裸の子供を抱いており、娘たちはほとんど目の見えない母親の手を引いています。ひどい傷を見せている男性もいれば、眼炎でふさがりかけた目に蠅をたからせている子供もいます。具合の悪い者も健康な者も、全員が実に「劣悪な衣服」を身につけており。嘆かわしいほど汚く、害虫だらけで、病人は薬を求め、健康な者は病人を連れているか、無感動な好奇心を満足させようとしています。

 

 

土地を持たない者たちは、休みなく働いても、こういう状態でした。貧困についての記述はこれだけではなく、皮膚病や貧しい服については幾度も出てきますし、バードが訪れる二日前に貧しさのために首を吊った男の話も書かれています。

秩父困民党 (1979年) (講談社現代新書)バードが日本を旅したのは1878年、明治11年のことです。東北地方の農村はどこもこんな感じだったでしょう。

江戸時代には年貢の取り立てに苦しめられ、やっと江戸が終わったと思ったら、今度は富国強兵のための税金に苦しめられる。税金は年々高くなり、これでは江戸時代よりひどい。

農民たちはほとんどが借金を持っているという記述もあります。高利貸しに金を借りて税金を払うような状態。

金があればバードが持っていたような薬は日本でも買えたわけですが、買う金がない。医者にかかる金もなく、治る病気も治せない。

いくらかましになったのは、この頃から工場が次々と出て、ひどい環境ながら娘を働きに出すことになったおかげで、前借を得られた点です。バードも工場が農村の生活を向上させることを期待しています。

これでいくらか借金を返済できた家もあったでしょうが、それに合わせて税金が高くなるのだからどこまでも貧困はなくならない。

この数年後には失政により、経済状態が悪化し、農作物の価格暴落で困窮した農民たちは、秩父事件を筆頭に各地で武装蜂起をします。秩父の場合はそれまで富をもたらしていた生糸の暴落という事情が関わっていて、実のところ、秩父はそれまでは豊かで、中央の文化も積極的に取り入れ、自由民権という新しい動きをも取り入れた運動ではありましたが、百姓一揆の伝統をも引き継いでます。

しかし、それらも制圧され、死刑になった人を含めて、万という単位の農民たちが処罰され、結局は元通り。

追記:バードは日本の既婚女性は貞節だとしながらも、いたるところで受けた女たちの質問に驚いたと書いています。「イギリス式の慎みの観念でいけば、非常に失礼な話題」と書いているだけですが、そのあと親の会話が子どもたちへ影響すると指摘しているので、下ネタなのだと推測できます。高等教育を受けた人たちは別にして、明治時代でも一般に日本はこういう国。

 

 

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