おそらく『女工哀史』の買い取りは細井和喜蔵からの申し出—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 7-(松沢呉一) -2,638文字-
「買い取りなのに印税を要求するとしを—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 6 」の続きです。
としをは買い取り金を少なく見せようとしていた?
買い取りの『女工哀史』の印税が払われないのは不当だととしをは言っているわけですけど、その金額に不満があって、「あれだけ売れたのに、買い取り金が安過ぎた」と言いたかったのでありましょうか。無理な話ですが、ここをもう少し丁寧に見ていきましょう。
そもそも買い取り金はいくらだったのか。としをは「和喜蔵と私がめいせんの着物を一枚ずつと私の羽二重の花もようの帯を買いましたが、ほかにはなにも買わず、私が働いて細井とぜいたくもせず暮して一年でなくなったのですからたいした金額ではなかったのでしょう」と書いていて、金額は不明で、どうもここに不満がありそう。
銘仙は当時の流行りです。金が入ったので、夫婦でシャレオツなもんでも買うべえと。銘仙の着物は高くはないとしても、羽二重の帯はけっこうしたんじゃなかろうか。
それ以外は生活費に消えたってことはその金が必要だったってことであって、たいした金額ではなかったことを必ずしも意味しない。たとえばそれだけで一年生活ができたのであれば、贅沢をしていなくても、年収相当ってことです
通常、買い取りは初版の印税より多いものです。『工場』の初版分印税はおそらく三百円であり、『女工哀史』の買い取りはそれ以上だったでしょう。三百円だとしたって、並の女工が得る収入の一年分です。女工の給金は安いにせよ。
おそらくとしをにとっては、派手に遊びに使いまくれなかったので、記憶に残らなかったのだと想像できます。さらに意地の悪い見方をすると、忘れたふりをしているのではないか。人間は都合の悪いことはきれいに忘れるようにできているものですから、無意識に記憶を削除したのかもしれない。シャレオツな着物のことは覚えていても。
※『工場』は国会図書館で読める。
望んで買い取りにしてもらったはず
必要な金がすぐ支払われる買い取りという方式は和喜蔵側からの希望だったと推測できます。じゃないと、一年も前に改造社は先払いはしない。
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