松沢呉一のビバノン・ライフ

婦人参政権に反対した棚橋絢子・東京高等女学校校長—女言葉の一世紀 110-(松沢呉一) -5,484文字-

棚橋絢子・東京高等女学校校長は嘆く—女言葉の一世紀 109」の続きです。

 

 

 

学校教師になる女は貧乏人か醜女か後家

 

vivanon_sentence前回出てきた東京高等女学校初代校長・棚橋絢子は著書『女らしく』で、高等女学校を出て専門学校や大学に進んで学校教師になるような女はどういう女かを説明しています。ここも驚きです。

 

 

又高等女学校を卒(お)へると、何でも其れ以上の学校に入った方が、立優れて居るやうに思はるるのでありますが、決して其んなものではありません。普通婦人の本務は然るべき良縁を求めて他家に嫁し、良妻となり、賢母となるのですから、大変に家が貧乏であるとか、一人娘で家の名跡を継ぐに、是非ある種の資格を要する時とか、親は貧乏で跡取は幼稚なとか、非常な醜婦であり、又は家系が悪くて嫁したくも、嫁することが出来ないとか、早く後家になって已むなく独身生活を送らねばならぬ場合などには、拠ん處なく教員を志願したり、独立した職業を求めたりするのが必要でせうが、普通の甲斐性ある婦人は、決して其んな必要はない、先ず高等女学校位卒業したら、家庭の実際に通暁して、良縁のまにまに嫁して、立派な主婦となるのを目的とせねばなりません。

 

 

すごいな。貧乏か、醜女か、家系が悪いか、後家かでやむを得ない事情がない限り、女は教員などの職を求めるべきではないのだと。

 

 

婦人の務めも矢張り、婦人の自然性に法(のっと)ったもので、家庭の事は、その天職であります。即ち針仕事なり、勝手元の事なり、良人の世話なり、子供の養育なり、舅姑の世話なぞは、その重(おも)なるものでございます。如何に二十世紀になったからといって、それをしないで、男子の真似ばかりして外出勝であるのは、例えば、梅の木が松の木を真似るやうなもので、只に自己の性を傷くるばかりでなく、社会に多くの害毒を流します。

今日女学校に出る若い婦人の中には、己れは女子教育家になる、学校教師になる、社会改良家になる、銀行会社員になねといって居る方がありますが、已むを得ずして自然さうせらるるのは宜しいけれども、婦人の身としては初めより目的を立ててするのは、何うも善いこととは思はれません。私は、不幸にして女子教育家になって居りますけれども、これも初めより希望してなったのではなく、境遇上已むを得ずなってのでございます。

私の最初の目的は、全く立派なる一家の主婦になりたいといふ一念のみでございました。それが、何時の間にか、こんな境遇になりましたのりで、私のは変則的であります。ですから私は、家庭の事では誰方(どなた)にも引を取らないやうにと、思って、裁縫は私の得意でありまして、永年一家に要するものは、外着も不断(ママ)着も、自分一人で縫張して人の厄介になった事がありません。

 

このあと、いかに裁縫が得意かを延々と書いています。二人の下女を使いながらも、裁縫は自分でやっているのだと。結局、裁縫以外は下女にやらせているんじゃねえか。

これは当時の女学校経営者や校長の典型であって、決して特殊例ではないことを確認した上で、驚いていただきたい。

女学校の段階で「学校教師になる」「会社員になる」と決意することさえも戒められています。結果そうなることはあるとしても、それは不幸なことであり、女の本分は家庭で家事や育児、親の世話をすることなのだから、そういう立場になったとしても、人にやらせてはならないのだと。

家事ができなかった平塚らいてうは本分を忘れた存在です。平塚らいてうはそれをよしとしていたのではにく、お嬢様だったのです。ずっと女中を何人も使う生活をしていたわけですし。こういうタイプのお嬢様も棚橋絢子の批判の対象です。

※写真は『ニコニコ写真帖. 第1輯』(大正元年)より。右は棚橋絢子。左は三輪田眞佐子。

 

 

良家に嫁ぐことが女の出世であり、成功である

 

vivanon_sentence棚橋絢子だけじゃなく、当時のものではしばしば見られることですが、棚橋絢子は著書『女らしく』の中で、下流に育った女が上流の男と結婚をすることを「出世」と表現しています。

女の出世は男と同様に社会に出ることで達成されるのではなくて、地位があったり、金があったりする男に見初められて結婚をすることなのです。そのために婦人としての修養が必要であり、女学校はそれを教える場であり、自立や社会進出を実現するものではありませんでした。

女は社会と無関係ではなく、家庭に入って夫のために尽くすことが社会への貢献であり、国家の発展に寄与するというものです。

本気でそう考えていたのでしょうけど、同時に女の社会進出を求める勢力に対する牽制、弁明として強調されたのでありましょう。そのため、「出世」「成功」といった、一般には社会進出をして初めて成立する言葉を、良妻賢母主義の中で好んで使用します。

上流階級の夫人となると、家事は下女にやらせればよく、自身はやらなくていいということにもなるのですが、この考えも戒めています。どこまでも女は料理、裁縫、洗濯、育児をしなければならないのです。それが自然であり、本分ですから。

 ※図版は東京女子学園のサイトより同学園の「生活信条」。

 

 

婦人参政権にも反対

 

vivanon_sentenceこの考えからすると、当然導かれることですが、女が政治に必要以上に関心を抱くことも不要、女性参政権も不要というのが棚橋絢子の主張です。

 

 

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