松沢呉一のビバノン・ライフ

Not Alone Cafe 東京 x Living Together—カミングアウトしなくていい社会が理想のわけがない[1](松沢呉一) -2,747文字-

 

 

言葉を費やさなければならない空間

 

vivanon_sentence2月12日、新宿二丁目DRAGON MENで開かれたakta tag tour「Not Alone Cafe 東京×Living Together」は素晴らしい内容でした。

Not Alone Cafeは日本に来ている外国人の同性愛者、とくにアジアからの男性同性愛者が集まり、出会える場所を作る試みです。

Living TogetherはHIV陽性者の手記をさまざまな立場の人たちが読み上げるとともに音楽を楽しむシリーズ企画であり、私も以前出演しています。

今回はその両者のコラボ企画です。

この場を象徴するのは言葉でした。司会は日本語と中国語です。Not Alone Cafeに来ているのは中国語話者が多いのです。

出演者によっては韓国語だったり、英語だったり。この英語はブラジル人によるものでした。ポルトガル語を理解する人はおそらく他におらず、英語話者のための英語です。

イベントで通訳が入るのはしばしばうざいと感じます。時間が倍かかる。ここでは三倍くらいかかってました。でも、この場ではそこに意味があり、言葉が錯綜することに心地よさがありました。

日本に来ている外国人は最低限日本語はわかるわけですけど、細かいニュアンスになると母語じゃないとわからない。面倒です。面倒だけど、そうしていくしかない。日本に溶け込んで、言葉に不自由しなくなっている人たちよりも、日本に来て間もなく、右も左もわからないような人たちこそにここに来る意味がありますから。

この場にいる人たちは見た目だけでは何人かもわからない。アジア系ということがわかっても、アメリカ生まれかもしれない。中国人かと思ったらベトナム人だったりもする。ゲイが圧倒的に多いのだけれど、全部がそうとは言い切れない。現にゲイ寄りのヘテロである私もいたわけですし、女性もいました。中にはトランスジェンダーもいたかもしれない。

こういう場で他者を理解し、自分を理解してもらうためには言葉を費やさなければならない。そうしない限り、理解すること、理解されることはあり得ない。

結果、さまざまな言葉が錯綜することになります。それが必然であることを見せてくれていたため、私にとってはそのことがかえって心地よく感じました。

 

 

カミングアウトしなくていい社会なんて金輪際来やしない

 

vivanon_sentence最近、「カミングアウトしなくてもいい社会を」なんて言っている人たちがいるらしいですね。

異性愛がデフォルトであるために、同性愛者であることが前提とされておらず、男に対しては「カノジョいるの?」と聞き、女に対しては「カレシいるの?」と聞いてしまう。

この現状に対して、「ヘテロもいるけど、同性愛者もいる」ということを前提にした社会にすべきって意図はわからないではない。それを気が利いたフレーズで言っているつもりなのでしょうけど、このフレーズは大きな間違いに陥ってます。

そうなったところで黙っていて自分が理解してもらえるなんてことはあり得ないのです。そうなったら、「カレシかカノジョいるの?」「恋人はいるの?」って聞くことになるのですから、男が「カレシがいるよ」、女が「カノジョいるよ」と答えることで、結局自身の性について語ることになるのだし、そこで本当はカレシがいるのに「カノジョがいるよ」と答えてしまったら、今までと同じ。

つまり、求められるのは「カミングアウトしなくてもいい社会」ではなくて、どこまでも「カミングアウトしても差別されず、損をしない社会」です。

 

 

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