英語のlynchingと日本語のリンチ—リンチの歴史[10](松沢呉一)-3,717文字-
「行為者が少数でもいじめやリンチが成立するケース—リンチの歴史[9]」の続きです。
日本の私刑
ここまで日本語でのリンチの変化を見てきました。では、改めて英語との違いを整理しましょう。
このシリーズの一回目で辞書の定義を確認しました。
これを見ると、リンチは私刑とイコールの言葉のように思えましょう。
宮武外骨著『私刑類纂』や藤沢衛彦の著書を読むとわかりますが、江戸時代まではありとあらゆるところで私刑が行われていました。遊廓を足抜けしようとした遊女に楼主が折檻をする、仕事をさぼった丁稚に番頭が折檻をする、言いつけを守らない子どもに親が折檻をする、覚えの悪い弟子に師匠が折檻をする、大事な茶碗を割った下女に主人が折檻をする。
ほぼ創作ですが、「番町皿屋敷」で、大事な皿を割った下女のお菊の指を主人が切り落としたのがいい例です。この場合は物語の中でも主人は処分を受けてますが、殴る蹴るで留めておけばお咎めなしだったでしょう。
おもに江戸時代の話なので、今の時代にこれらをリンチと呼ぶのは不自然ですから、この言葉を使わないのは理解できます。
しかし、ひどい場合は捕まったり、子どもが施設に預けられたりするにしても、親による子どもの虐待は今だってあります。これもものによっては私刑の一種と言えますけど、「親が3歳の子どもをリンチして殺した」とはあまり言わないでしょう。これは昔なら折檻、今なら虐待や家庭内暴力という言葉があるので、わざわざ他の言葉を持って来る必要がありませんし、むずがるだけの子どもに制裁を加えることにはどんな正当性も見られないので、リンチにはそぐわない。
「大辞林」にあるように主体が民衆や団体であることが私刑の条件であり、リンチの条件です。学校の教室も団体を構成しています。家庭内だとリンチらしくないのです。
日本でも米国でもそこは同じですが、日本の私刑、およびリンチと英語のlynchingは同じではありません。
日本のリンチと英語のlynching
ここまで見てきたような日本式リンチは、米国のリンチとは大きく違っていて、日本語の私刑にそのまま重ねると、どうしたって米国でのリンチから遠ざかります。
英語のlynchは動詞であり、名詞はlynchingですが、lynchingには歴史的背景がこびりついている点が日本語のリンチとの決定的な違いです。
そのことを英語の辞書で確認してみましょう。
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