松沢呉一のビバノン・ライフ

ファンタジーのウンコと現実のウンコは違う—『マゾヒストたち』(6)-(松沢呉一)

男のマゾと女のマゾの違い/男のマゾはチャレンジ精神が旺盛—『マゾヒストたち』(5)」の続きです。

※このシリーズは全体の流れや構成を考えて始めたわけではないので、話があちこちに飛びます。ご了承ください。

 

 

 

性にノーマルなんてない

 

vivanon_sentence先に言っておきますが、前振りが長いです。

この人のことを全然知らずにいましたが、「性にノーマルなんてない」と私の「「正しいセックス」なんてどこにもない」という主張はほとんど一緒です。

 

 

2019年8月30日付「HUFFPOST」より

 

映画「おしえて!ドクター・ルース」にひっかけた記事です。

 

 

 

80年代にセックスを語るのはタブーだった?

 

vivanon_sentenceこの記事はちょっと気になるところがあります。長くなりますが、本題に入る前に指摘しておきます。

1980年代アメリカでは、セックスを語るのはタブーだった」というのは大げさすぎないか? 比較として「今に比べてなおタブーだった」ということはあるとして、また、同性愛についてはそうかもしれないとして、1970年代にすでに日本でも深夜放送で性の悩みについてDJが答えるなんてことがありましたし、雑誌でも同様の企画は珍しくありませんでした。

本人ではなく、書いた人の問題だと思いますが、説明不足のところもあって、フロイトが言っていたのは「膣オーガズムは成熟した快楽であり、クリトリス・オーガズムは未熟」といったニュアンスだったはず。

これに対して、1970年代から、とくにフェミニストの間で、クリトリス至上主義が力を持ち、膣オーガズムは錯覚だとして、膣オーガズムを得ている女たちを否定するようなことまで起きてしまうのです。この主張から言えばフロイトはとんでもないって話。

こういった混迷の中で、「多くの女性たちがどうやってオーガズムを得ればいいのかわからず、幸せではありませんでした」となってしまった時に、Gスポット説が評価されて、クリトリス至上主義が力をなくしていったのが80年代であり、間違っていたのはフロイトではなく、クリトリス至上主義でした。未熟という言い方が適切かどうかはあるにせよ、膣オーガズムの方が一般に得にくいのは事実でしょう。

どちらにせよ、80年代にただ性の情報がなかったのではなくて、混迷していたと表現すべきです。

それまでは語ることもできなかったという話と齟齬を来すために、正確に説明できなかったのではなかろうか。映画としてもそうなっているかもしれず、そうした方がこの人の存在感が増しますわね。

他にも「考え方が違う」あるいは「説明不足」という点があったりしますが、「性にノーマルなんてない」「女性は自分の性や性的欲求に、積極的になるべきわからないことをわからないと言うのはすごく重要なこと」という点については同意できます。

とくに性の領域は、改めて調べたり、考えたりすることなく、自身の体験にのみ基づいた感覚を「正しい性」として語る人たちがあまりに多く、「わかっていないこともわかっていない」という状態になりやすい。その点、ドクター・ルースことルース・K・ウエストハイマーさんはわかってないことをわかっています。

 

 

始まりはホロコースト

 

vivanon_sentenceルース・K・ウエストハイマーさんが「性にノーマルなんてない」と考えるようになるルーツは、両親や親族をホロコーストで殺害されたことにあります。

 

ドイツ生まれのユダヤ人であるドクター・ルースは、幼い頃に両親や親族をホロコーストで失った。自身は生まれ故郷を追われた後、スイス、イスラエル、パリ、ニューヨークと居場所を変えて生きた。「人間以下だと見なされた人々に無関心ではいられなかった」と映画の中で語る。

 

映画もこの点に重きがあるようです。

人間以下の犬扱い、豚扱い、物扱いされると勃起する人たちがいるわけですけど、その人たちが会社でそのように扱われて嬉しいかと言えばたいていの場合は嬉しくない。

 

 

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