松沢呉一のビバノン・ライフ

ハイカラと新しい女をつなぐ線—女言葉の一世紀 152-(松沢呉一)

貴婦人令嬢こそが問題だった時代—女言葉の一世紀 151」の続きです。

 

 

 

洋装をするだけで陰口を叩かれた時代

 

vivanon_sentence前々回前回は、磯村春子著『今の女』の後半「探訪パート」を見てみました。

ここからは前半の「インタビュー・パート」です。こちらのパートは前に「ビバノン」で取り上げた松崎天民の『東京の女』みたいなものですが、あちらの方が数年早く出ていることもあり、また、著者の磯村春子は報知新聞の記者で、英語も話せる女性記者として脚光を浴びた人物であり、時代の尖端を行く存在ですから、松崎天民よりもより「この時代の女たち」に焦点を当てている印象です。

あくまで「比較すると」であって、『今の女』でも「〜夫人」といった肩書きの人が半数くらいを占めていて、「自立した女たち」ってタイプばかりではありませんが、「〜夫人」でも、新しさを見出せる人選をしようとしています。

インタビューの一人目も、法学博士夫人の江木栄子という人物。

この人は洋装が好きで、写真も洋装です。この頃には洋装はすでに珍しくなく、洋装で学校に通う女生徒も出てきていたとは言え、西洋人以外、既婚女性はなお和服が一般的で、江木栄子はそれだけで「虚栄心が強い」「贅沢だ」と陰口を叩かれていたらしく、彼女は洋装の方がずっと安く済むと反論しています。

経済性よりも、舶来ものをありがたがる風潮自体が叩かれ、とくに女の舶来好きは「ハイカラ」と揶揄された時代です。「ハイカラ」は「阿婆擦(あばずれ)」に近い形容です。モガはもうちょっとあとですけど、モガに対しても保守派は眉をひそめたわけで、同時代である「青鞜」の人々だって和服でしたから、いかにこの人が先を行っていたのかわかりましょう。

江木栄子は「江木家の家庭に於ては、私は、主婦でございます」と宣言しています。「ここは私の天下ですもの」とも言ってます。今の「主婦」とニュアンスの違う「主婦」です。「家の主だ」と言っているわけです。かといって彼女は「新しい女」的な自己主張をするタイプではなく、たんに洋装が好きってだけみたいです。それでも両者は通じているのです。

この本では、他でもこの意味の「主婦」が出てきます。帝国ホテルの支配人(「支配人」という言葉は使われていないのですが)は小暮こう子という人で、旅館を経営していた夫に先立たれたあと、帝国ホテルに移籍し、本書では「ホテルの主婦」というタイトルで登場します。

 

 

ハイカラの次の悪口が「新しい女」だと語る長谷川時雨

 

vivanon_sentence長谷川時雨も登場します。劇作が中心の作家だったため、今の時代にはさほどは知られていない人でしょうし、このインタビューでも語っているように「青鞜」は寄稿していただけで、人的なつながりが強かったわけではないのですが、その後、雑誌「女人芸術」を発行するなど、「青鞜」を継続した人物の一人と言ってよく、彼女はこんなことを言っています。

 

此間私が東京へ出る時でした、いつも渡しを越すのですが、雨の降る時などは後背から吹付けられて、袂の中が水一杯になりますから長い外套を作らして着ましたのでせう。処が通り縋(すが)りの人達は、ヤ、新らしい女? といふぢゃありませんか、つまり今の人々の口から、新らしい女といふのは、丁度先頃まで流行した、所謂ハイカラーといふのと同じ位に心得て、一緒の悪口になったのですね。

 

「ハイカラ」の語源は高い襟ですから、ハイカラーという表記は誤植ではありません。むしろ語源に忠実です。

 

 

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