松沢呉一のビバノン・ライフ

バルカン半島は難しすぎる—ポストコロナのプロテスト[82]-(松沢呉一)

アンチ・ロックダウンは陰謀論者や右派によるものという決めつけの間違いをセルビアに見る—ポストコロナのプロテスト[81]」の続きです。

 

 

ユーゴスラビア解体後もくすぶる民族対立

 

vivanon_sentenceでは、改めてセルビアがどういう国かおさらいです。「そんなことはわかってる」という方々は飛ばしてください。

ユーゴスラビアを構成してきたスロベニアクロアチアボスニア・ヘルツェゴビナセルビアモンテネグロ北マケドニアがそれぞれ分離独立してユーゴスラビアは解体されたわけですが、その過程での内戦、民族浄化があって、その当時でも、こっちからすれば同じにしか見えない人たちが同じ国の中で、民族的に対立している事情が全然わかりませんでした。今もわからん。

セルビア独立後もスロボダン・ミロシェヴィッチ(Слободан Милошевић)大統領はボスニア・ヘルツェゴビナ独立運動に介入し、セルビア内コソボ(Kosovës)の弾圧によってNATOと対決。コソボはアルバニア人が多く、民族弾圧です。ミロシェヴィッチはアルバニア人虐殺の責任を問われてNATOに逮捕されて、収監されたまま死亡。

コソボは実質独立していて、多くの国が承認していますが、セルビアはコソボは自国領土であることを主張しており、なお不安定な状況が続いています。

また、独立した各国もそう簡単には記憶は消えず、なおかつ各民族が入れ子になって入り交じっているため、各国の少数民族への迫害も続いており、いつまた対立が激化するかもしれないとの見方をされていて、バルカンの緊張は続いています。

※2020年11月29日「共同通信」 セルビアとモンテネグロはソビエト解体後も「ユーゴスラビア連邦共和国」を維持していましたが、2003年に「セルビア・モンテネグロ」として両者独立しつつも新たな共同体をスタートさせ、ユーゴスラビアという国名は消滅。しかし、結局は足並みが揃わず、2006年にモンテネグロは完全独立し、これに伴いセルビアも独立。遺恨はあって、昨年11月に両国は大使を追放したとの記事。セルビアがモンテネグロの内政干渉を盛んにやっているようです。モンテネグロ内にもセルビア人がいて、セルビア正教会もあるため、それを守るというのがセルビア人の言い分。また、7月7日以降のプロテストで、モンテネグロ人が逮捕されたとの報道も出ています。セルビアの報道なのでバイアスも入っていそうです。イギリス人やイスラエル人も逮捕されているので、面白がって参加しただけかもしれないし、ただそこにいただけで逮捕されたのかもしれないし、背景があるのかもしれないし。

 

 

大セルビアを今も夢見る大統領たち

 

vivanon_sentenceミロシェヴィッチが党首であったセルビア社会党(Социјалистичка партија Србије‎)は凋落しながらも存続はしており、次の大統領のミラン・ミルティノビッチ(Милан Милутиновић)はミロシェヴィッチの元部下。一人飛ばして、その次のトミスラヴ・ニコリッチ(Томислав Николић)は極右民族主義政党セルビア急進党(Српска радикална странка)の副党首だった人物で、急進党を離れてセルビア進歩党(Српска напредна странка)を設立。その次の現大統領アレクサンダル・ヴチッチ(Александар Вучић)も同じく急進党から進歩党設立に参加。

 

 

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