男女混浴とエロの関係—そろそろ刑法174条(公然わいせつ)と175条(わいせつ物頒布)を見直しませんか?[横道編 12](最終回)-(松沢呉一)
「中国の不自由・日本の不自由—そろそろ刑法174条(公然わいせつ)と175条(わいせつ物頒布)を見直しませんか?[横道編 11]」の続きとして書いたものですが、シリーズが長くなったので、早く終わらせるためにボツにしたのだと思います。このシリーズも長くなるにつれて読まれなくなっていたものですから。
固有名詞を検索した限りでは他とかぶってないですが、内容は一部他に反映させているかもしれません。
横道編の最終回ということにしておきます。
今読み直したら、この前の「中国の不自由・日本の不自由—そろそろ刑法174条(公然わいせつ)と175条(わいせつ物頒布)を見直しませんか?[横道編 11]」はメチャいい内容でした。自分で感心。読んでない人は読んでおいてちょ。
「混浴合コン」でイメージされるもの
「全裸合コンの顛末—日本でナチュリズムを実践する試み」の追記に書いたように、「全裸合コン」という名称が悪かったかもしれず、「全裸会議」の方がよかったかと思います。「合コン」はそれ自体にエロがいくらか入っているため、「全裸合コン」だと完全にエロを期待されてしまいます。
この時に、「混浴合コン」だともっとエロくなります。混浴は今では一部温泉に残るだけとなったため、「混浴」はエロをかきたてるワードになってしまったのです。
Amazonで「混浴」を検索すると、アダルトコンテンツのアラートが出ます。混浴というだけでアダルト・ワードです。
実際にこれでひっかかってくる商品はほぼエロです(ここに出したSS参照)。
稀には家族で一緒に入れる大浴場のある温泉を探す人もいるでしょうし、日本に千人くらいはいるだろうナチュリストたちの中には、同志たちとの温泉旅行用に探す人もいるでしょうが、混浴で検索する人の99%以上はスケベ心です。
「混浴が当たり前だった江戸時代を思い出せ」と言いたいのですが、江戸時代もつねに混浴だったわけではありません。
江戸時代の混浴事情
江戸時代には、混浴ではあれ、着衣だった時代もあります。男はふんどし、女は腰巻きをつけてました。これは入浴用のふんどしと腰巻きであり、ふだん身につけているものをそのままつけていたのではないですが、布をつけたままなので、湯が汚れやすいというので、着衣が禁止となって、結局全裸の混浴になっています。
全裸に問題がなかったわけではなくて、江戸背時代の銭湯は暗かったため、中で悪さをする人たちもいたようです。痴漢とは限らず、許されない関係のふたりがこっそりいたすこともあったでしょう。今も許されにくい男同士であんなことしたり、こんなことしたりする人たちもいるわけで。
昔の銭湯は、2階に酒を飲んだり、休憩したりするスペースがあって、そこで密会する人もいたでしょうし、ここに湯女がいて、売春をするというので、これがまた禁止になってます。
最初から男女別にしておけばよさそうですが、湯が貴重だったため、銭湯の主としては避けたい。
家を取り壊す時は薪が出ますが、それ以外では江戸では薪が手に入りにくい。大量に薪を使うため、遠くから木を取り寄せると高くなって採算がとれず、新材では火がつきにくいので乾燥させなければならない。
そこで丁稚が家の塀に使われている板をかっぱらってきたりしたそうです(今野信雄著『江戸の風呂』より)。
今では男女それぞれにいくつも浴槽があってふんだんに湯を使えますが、ひとつの浴槽を男女で使うのがもっとも効率がよかったわけです。
豆知識でした。
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