松沢呉一のビバノン・ライフ

匿名の表現者たち—男の名前・女の名前[ボツ編]-(松沢呉一)

「ビバノン」では頻繁にボツにしています。アイデアの段階でボツにし、着手してからボツにし、書き終えてからボツにし。

理由はいろいろで、私自身の内的な基準としては「書いたはいいけど、面白くならなかった」「うまくまとめられなかった」といったものがありますし、外的な基準としては「いい内容だけど、受けないな」ということもあります。これと重なるのですが、シリーズが長くなると読まれなくなるので、「この辺で打ち切るべ」とか「話が広がりすぎるのでこのネタは飛ばすべ」ということもよくあります。

とくに最後の「長くなるから」という理由でボツにしたものの中には単体で取り出した時には悪くないものもあります。比較的最近では「同性愛は「同性を愛すること」ではなく「同性とセックスすること/したいこと」[上]」「同性愛は「同性を愛すること」ではなく「同性とセックスすること/したいこと」[下]」はずっとアクセスが続いています。あれは「下編」の有料パートに書いたことがメインなのですが、無料パートに書いたことでも何か感じるところがあった人がいたようです。

最近、ナチスに偏りすぎなので、他になんか出しておきたいと思うのですが、ナチス以外に興味が向かわないので、ボツにしたものから復活させようと思って、古いものを探っていまして、まずは「男の名前・女の名前」の「ボツ編」です。あのシリーズは長くやり過ぎたせいと、論文が続いたせいか、最初の何回かを除いてさっぱり読まれなくなったので打ち切りまして、書き溜めてあったものは「付録編」で出したのですが、この回は内容が浅かったので、付録編でもボツにしました。今も浅いと思いますが、まあいいや。

 

 

匿名性を求める表現者たち

 

vivanon_sentence米国でも、ジェンダーニュートラルな名前をつける親の意見として紹介されているのは「ジェンダーは流動するから」というのが多い印象です。

「子どもがトランスジェンダーかもしれないので、どちらにも行けるように」というだけではなくて、もう少し広い意味合いがあります。

「ジェンダーの流動」には、「女らしさ」「男らしさ」の社会の価値観が流動するという意味を含めています。日本であれば男子の名前として「剛」「豪」「力」「将」「強」「武」「重」「猛」「龍」「勇」のような文字が好まれたのに、強さのアピールは「野蛮」「無神経」といったイメージに転じるとか。転じているかどうか知らんけど。

百合子は清楚な女らしい名前だと思っていたら、経歴詐称をしそうな名前になったり。

「女でも男らしい名前をつけたい」ではなくて、「女でも男でもない名前をつけたい」ってことです。どこにもない名前をつけたいという思いとも重なりそうです。

日本の場合は女児の名前にはなお女らしさを残していて、男児の名前がジェンダーニュートラル化している(かもしれない)ので、どう考えるべきか難しい。男らしさは変化するけれど、女らしさは不変と考えている親が多いってことか?

それと関係しているのかどうかまったくわからないのですが、日本でも性別を明示しない表現者、身許を明らかにしない表現者が増えているように思います。とくに伏せる気がなくても、そこをアピールしない。

鬼滅の刃」の漫画家は表に出てこないながら、女であることを隠してはいないですが、吾峠呼世晴(ごとうげ こよはる)という名前は男をイメージさせます。

『鬼滅の刃』11巻 この辺は遊廓が舞台で、そのために「ビバノン」までアクセス急増。ものすごい影響力です。

 

 

yamaという名前

 

vivanon_sentenceミュージシャンの場合は声でわかるにしても、アヴちゃんのような例がありますし、yamaって人もとくにそこは公開していない。名前にも色がまるでついていない。

「匿名性のある名前」はハウス、テクノ系の記号的な名前に見られますが、これだけ声に人が存在しているのに、「匿名性のある名前」のミュージシャンは珍しい。

彼女は顔も公開していません。

 

 

 

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