石田将也が西宮硝子を気持ち悪がったのはそんなにおかしくない—公開から6年経って観たアニメ「聲の形」[6]-(松沢呉一)
「高校生になっても西宮硝子には友だちがいなかったーーー公開から6年経って観たアニメ「聲の形」[5]」の続きです。
人の言葉も聞かずに「トモダチ」と迫ってくる硝子
この辺からネタバレと言っていい記述が増えます。しかし、「聲の形」はストーリーが全部わかってもなお観るに耐えます。私自身、何度も何度も観てなお泣いたように、そこは恐れることはないと思うのですが、念の為にまだアニメを読んでいないし、原作も読んでいない方に「ネタバレあり」とお断りしておきます。
小学校の時に、植野らが硝子を置いて帰り、一人になった硝子に対して将也は「もっとうまくやらねえとうざがられるんじゃねえの」と優しいと思える言葉をかけながら、硝子が「トモダチ」と言って迫ってきたことに対して、砂をかけます。
この豹変ぶりを見て「ひどい」とたいていの人は思うでしょうし、私も一回目に観た時はそう思いました。
しかし、よーく考えると、将也がせっかくアドバイスしているのに、そのアドバイスが聞こえなかったように、「トモダチ」と返すのもひどいんです。「人の話、聞いてんのかよ」とキレますよ。
この時、将也は口でそう発しているだけで、筆談をしていないのですから、硝子は何を言っているのかわかっていない可能性が高い。硝子は補聴器と読唇術を合わせて、少しは言っていることがわかる程度ですが、ここまで見てきた事情から、とくに小学校の頃は読唇術はさほど身についていないと思われます。つまり口話はほとんどわからない。このことは原作を読むといっそう確信できます。
将也は本気で硝子を嫌っていた
さんざん硝子が言葉を聞き取ることが難しいことがわかっているはずなのに、口頭で伝えたので理解できると思った将也のミス。こういうところは子どもですが、説明されないと、大人でもわからんと思います。
アドバイスしたことは無視されて、手話と口話で「トモダチ」と迫ってくる硝子は気持ち悪いっしょ。
これとは別の場面で、ノートに「ごめんなさい」と書いた硝子に対して、将也は「文句あるなら言えよ」と苛立っています。この時も石田は口話だけです。これに対して、硝子は黙って将也の手を握ってきて、将也は「はあ? キモいんだけど」と振り払います。これもたしかにキモいです。
最初に「聲の形」を観た時には「将也は硝子に気があるからいじめたのだ」と「子どもらしい行動」として私はとらえたのですが、これは間違いだと言ってよさそうです。原作を読んでも、将也は好奇心から西宮星の宇宙人にちょっかいを出して、結果、意味不明の行動をとる硝子を心底気持ち悪がっていたし、本気で嫌いだったのだと思います。
だとしてもほっとけばいいのに、ちょっかいを出し続けてエスカレートしていったのが「子どもらしい」と言えるかもしれない。
なぜ硝子は気持ちの悪い行動をとってしまうのか
高校になって、硝子に謝罪をすべく手話学習会に行き、数年ぶりに会った硝子に対して、将也は「オレと西宮、友だちになれるかな」と言った直後に自分の頬を叩いて、「何言ってんの、オレ」と我に返るシーンがあります。
原作ではそこまでくどくないのですが、アニメでは自分の発言を否定する同様のシーンが何度か出てきます。「いちいち否定するなよ」と思うのですが、この場面は照れているのではなくて、自分が気持ち悪いとした行為をやってしまったことに気づき、「オレも気持ち悪いな」と慌てて否定しているのだと思います。
「はて、そもそも友だちってなんだ?」と疑問を抱いた将也は、友だちになった長束に「友だちの定義」を聞いています。
たいていの場合、友だちは結果なるものであって、事前に「友だちになりたい」「いいよ」といった手続きを必要とはしません。とくに相手のことがまだわかっていない段階から、こっちの言うことを無視して「トモダチ」と迫ってくる人は気持ち悪がられて当然。
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