「女は社会が庇護すべし」との考えは明治時代の保守派と同じ—ホストクラブ規制を求める人々の薄っぺらさ[追加編5]-(松沢呉一)
「消費者契約法がホストクラブの客に適用される例はごく稀—ホストクラブ規制を求める人々の薄っぺらさ[追加編4]」の続きです。
扇谷亮著『娘問題』を振り返る
「女言葉の一世紀」シリーズで、扇谷亮著『娘問題』(1912/明治45)を何回かにわたって取り上げました。この本は、当時の若い女子たちの無軌道な行動や良識ある人々が眉を顰めるような服装などが社会問題となったことに対するさまざまな立場の人々の意見を紹介した新聞記事をまとめたものです。
「無軌道な行動や良識ある人々が眉を顰めるような服装」はとくに女学生たちに見られました。ハイカラやお転婆と言われた層です。当時の女学生は裕福な家の子どもが多かったわけですが、その中でも抜きん出たお嬢様が通う学習院女学部と虎の門女学館にハイカラ女学生が大量発生。大きなリボンを頭につけ、化粧をして学校に行く。高額な舶来のアクセサリーや香水を買い漁る。そんなことができるのは金持ちだけ。だから、ハイカラ女学生は超お嬢様女学校に集中し、それこそ華族の子女がそんなはしたない格好をすることが衝撃でした。
そこまでの経済的余裕がない生徒が通う女学校では、ハイカラ女学生になるべく、窃盗や売春で金を稼ぐのもいました。
一方では、浅草を拠点とする不良少女たちがいて、こちらは女学校に行っていないし、行く金もなく、女学生を見つけては恐喝するようなタイプです。この不良少女たちは最初からそんな者として扱われていたのに対して、良家の子女たちがアバずれたことが社会にとっては衝撃でした。
また、浅草の不良少女たちと対になる不良少年たちは、浅草の映画館に一人でやってくる女学生に声をかけ、すぐさま待合に連れ込むといった事例も起きてましたし、女学生の憧れの大学生や偽大学生とともに待合に出入りしているところを補導されたことが報道されています。
『娘問題』では、舶来品を扱う店の主が店に来る女学生たちの様子を語っていたりもしますが、文化人、知識人といった人々は、事実の報告や嘆きに留まらず、なぜこのような女学生たちが登場したのか、どう解決すればいいのかまで踏み混んでいたりします。
✳︎2017年に公開された劇場版「はいからさんが通る」ポスター。原作を読んでないし、アニメも観てないですが、大きなリボンはハイカラ女学生の象徴です。しかし、ブーツを履いている女学生は明治でも大正でも存在しなかったかと思います。大正時代だと髷を結わないのもいましたが、束ねるか、三つ編みにしていたんじゃなかろうか。この辺の現代風アレンジは許容範囲です。
娘問題を解決する4つの姿勢
それらについて、「男女の交際をどうとらえるか—女言葉の一世紀 101」では解決案を以下の4 種に分類しました。
1)誘惑する側が悪いのだから、それを取り締まれ。
2)危険なところには女学生を近づけさせない。
3)近づいても誘惑されない意思を持たせる。
4)危険に慣れることでひどい被害に遭わない耐性をつける。
1の「誘惑する側」は、女学生の貞操を狙う男たちだけでなく、自由恋愛を称揚する大衆小説や文学作品を含めます。そういった読み物や映画が、見合いや親が決定する結婚ではなく、燃えるような恋愛をして結婚することを夢見る女学生たちや、先々親が喜ぶ結婚をするにしても、その前に恋愛もしておきたいと熱望する女学生を生み出していたのは事実でしょう。だから、「そういった娯楽を禁じろ」という意見です。
また、この頃から、「新しい女」がそういう気運を高めていました。1の立場をとる人たちのほとんどは、女の社会進出に反対し、「新しい女」の登場を苦々しく思っていました。
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