鶴岡東・佐藤俊監督インタビュー「指導の歩みと夏に強さを発揮できる理由」<前編>
近年の夏の山形大会でコンスタントに上位進出。甲子園にも出場している鶴岡東。秋や春は頂点に手が届かなくても、夏にはきっちりと勝ち上がってくるのが印象的だ。率いるのはOBでありチームを指揮して20年を超える佐藤俊監督。就任当初は勝てない時期もあった佐藤監督に、その指導の歩みと夏の強さについてインタビューを行った。その前編を無料公開する。
*プロフィール
佐藤俊(さとう・しゅん)
1971年生まれ、山形県鶴岡市(旧・東田川郡藤島町)出身。藤島中から鶴商学園(現・鶴岡東)へと進み、3年時は主将・遊撃手として活躍。立正大では学生コーチに転身。寮長も務めた。1995年、社会科教諭として母校に赴任。野球部では顧問、部長を経て2001年より監督を務めている。
■理想はベンチ入りメンバー全員を起用して勝つこと
――春季県大会は昨秋の準優勝の悔しさを晴らして優勝でした。
佐藤 選手たちがよくやってくれました。高校野球も少しずつ以前のような雰囲気を取り戻し、活気に満ちてきましたが、そのムードにうまく乗ってチーム内競争も熱のこもったものとなり、秋は出場機会が少なかった選手も活躍してくれた。それも大きかったと思います。
――佐藤監督就任後の鶴岡東はレギュラーやベンチ入りを巡る激しい競争が印象的ですが、その背景は?
佐藤 あくまでも理想ですが、一つの大会を通じて、ベンチ入りメンバー全員を起用して勝ちたいんです。選手にはそれぞれの長所があります。だったら全員、チームと試合に貢献できた方が、選手一人ひとりがやりがいを感じられると思いますので。
――選手のやる気にもつながりそうです。
佐藤 「バント職人」や「代走屋」みたいな一芸選手だっていいんです。だから練習では全員にチャンスを与えます。
――「全員野球の真髄ここにあり」という横断幕の言葉通りですね。
佐藤 現実としてはベンチを外れる選手もいますが、彼らも偵察やデータ分析など何かの役割を持って試合に臨ませたい。「全員野球」という言葉には、そういった想いも込めています。こうした点には、私が大学で学生コーチなど裏方を務めた経験も影響しているかもしれませんね。
――今年で監督23年目。鶴岡東は佐藤監督にとっても母校になりますが、進学理由を教えてください。
佐藤 幼少時代、鶴岡東の前身である鶴商学園が甲子園に出場した際、躍動する緑のタテジマのユニホームを見て憧れを抱いたことです。その後、父の手に引かれてかつての鶴岡市営球場や赤川の河川敷にあった練習グラウンドを訪れ、試合や練習の見学をするうちに、いつか自分もこのチームの一員として甲子園に出たいという気持ちが芽生えました。
――では、監督の就任経緯を教えていただけますか。
佐藤 大学卒業後、東京都内の企業で働いていたのですが、高校時代の恩師である田中英則先生から「教員、野球部の指導者として母校にきてくれないか」と相談を受けたのがきっかけです。
――田中英則氏は鶴商学園、現在の鶴岡東を甲子園初出場に導いた監督ですね。
佐藤 はい。その頃、田中先生は病気を理由に監督を退いていたこともあり、指導スタッフを充実させたかったのだと思います。大学で教員免許は取得していましたし、恩師からの要請でしたから母校のために帰郷を決めました。母校に赴任後は前監督のもとで顧問や部長を務め、2001年、監督に就任しました。
――当時、鶴岡東は最後の甲子園出場から20年遠ざかるなど苦しい時代でした。
佐藤 戦力的に厳しい年もありました。その状況で甲子園を狙う、強敵を倒すには奇襲やトリックプレーなど、相手のスキをつくことも必要だと感じ、いろいろな練習をしましたね。
――いわゆる「弱者の戦い方」でしょうか。
佐藤 なんとか勝つために何でも取り組みました。鶴岡東はサウスポーが多いといわれますが、それも右腕に比べ希少な左腕の方が打者も対戦経験が少ないため、抑えられる可能性が高いだろうと意識して始めたこと。「全員野球の真髄ここにあり」という言葉にしても、あの頃は本当に全員の力を結集してぶつからなければ勝ちが見えてこなかった。そんな背景から生まれた言葉なんです。
――ただ、当時も東北大会に進出することもあるなど、全く勝てないわけではありませんでした。
佐藤 気持ちだけで勝ちをもぎとっていた感じですよ(笑)。まあ、戦力的に厳しくても一発勝負だと格上の相手に勝てるときもあるんです。それこそ奇襲がハマったりして。ただ、それだけでは甲子園まで勝ち続けることができませんでした。今、振り返ると、私自身も番狂わせと言われるような勝利で満足していた部分があったのと、チームの小さなエンジンがオーバーヒートしたような状態だったのが原因かもしれません。
――30年ぶりの甲子園を決めたのは就任から10年後、2011年の夏でした。「小さなエンジン」が大きくなり、オーバーヒートしないようになったのでしょうね。
佐藤 少しずつ結果を出し続けたことで、だんだんと選手たちの意識や技量も上がり、私やスタッフも経験を積むことができました。その結果、以前よりもチームが安定して力を発揮できるようになった。それが甲子園に手が届いた理由だと思います。

ソツのないプレーで勝利をつかむ鶴岡東。練習でも実戦形式を重視する
*夏に強い理由などに迫った後編に続く!