ヤマガタ野球通信

2023年ドラフト、星野恒太朗(駒沢大)の指名で甦った、その父・星野順治と鶴岡で対戦した記憶

ソフトバンクホークス・公式サイトより
https://www.softbankhawks.co.jp/team/player/detail/2023_00001487.html

■鶴岡で星野順治と対戦した1992年の初夏

山形県関連の選手では、武田陸玖(山形中央)、大泉周也(福島レッドホープス)が指名された昨日のドラフト会議では、ダイエー、ソフトバンクで活躍した投手・星野順治の息子である星野恒太朗(駒澤大)も指名されていた。

1990年代前半、鶴岡にある私の母校と星野順治の出身校である新潟商は、毎年、夏の大会前の6月に練習試合をしていた。

プロ野球選手が夢だった私が、その夢が叶わないものと諦めたのは高1の秋。それは優れたチームメイトと自分の差を痛感したからなのだが、外の世界には、その力あるチームメイトをも軽くひねってしまう、さらに上の選手がいることも試合などを通じて追々知り、諦めは心底からのものになった(気づくの遅い)。

たとえば入学直後の1年生のくせにウチをいきなり5回無安打に抑えた嶋重宣(元広島ー西武)、対戦はしなかったが前の試合のブルペンでとんでもないボールを投げていた小野仁(元巨人ー近鉄)、スイングしたと思ったら一瞬で打球がフェンスに「激突」した松井秀喜(元巨人ーヤンキース他)などなど。
そして1学年上だった星野順治も、そんな選手の一人だった。

高2の6月の練習試合。星野が好投手だという評判は聞いていたので、私は「どんなピッチャーなんだろう」とワクワクしていた。まだネットもなく情報が少ない時代である。
ところが想像に反して当時の星野は嶋や松井のような圧倒的フィジカルの持ち主ではなく、小さくはないがやや細身で静かな雰囲気の選手だった。
既に補欠人生まっしぐらだった私は、ウォーミングアップをしているチームメイトを横目に、新潟商のメンバーを荷物置き場やアップ場所に案内する役目をしていた(雨の影響でグラウンドは試合まで使わないことになっていた)。
ランニングコースを1周だけ先導したとき、後ろにいた大人しそうな星野の顔を見て「本当にプロ注目なの?」と感じたことを憶えている。
が、その疑いは試合になると圧倒的に覆された。

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