柳下毅一郎の皆殺し映画通信

『祈り―幻に長崎を想う刻―』 かつての国産スプラッター映画の星が、原爆の地獄描写をすると…。 戦争の悲惨さを示すためにはしょうがないのだ!

公式サイトより

祈り―幻に長崎を想う刻―

監督 松村克弥
原作 田中千禾夫
脚本 渡辺善則、松村克弥、亀和夫
撮影監督 高間賢治
音楽 谷川賢作
主題歌 さだまさし
出演 高島礼子、黒谷友香、田辺誠一、金児憲史、村田雄浩、寺田農、柄本明、美輪明宏、温水洋一、馬渕英里何、宮崎香蓮、大桃美代子、井出麻渡

 

原作は岸田演劇賞(現岸田國士戯曲賞)・芸術選奨文部大臣賞受賞の田中千禾夫の名作戯曲『マリアの首―幻に長崎を想う曲―』。それを映画化するのがかつての国産スプラッター映画の星にして現茨城地方映画マスターの松村克弥監督。お話は敗戦から一二年後の昭和三二年(一九五七年)の長崎で、原爆が直撃して廃墟となった浦上天主堂に安置されていたマリア像をめぐってくりひろげられる人間模様……となればそうですわかりましたね! もちろん見どころは原爆投下直後の長崎市内の地獄絵図。これしかない! もちろん反戦平和を強く訴える松村/田中の思想には疑うべきところなどひとかけらもないが、それでもなお原爆の地獄描写となるとやたら頑張ってしまう。戦争の悲惨さを示すためにはしょうがないのだ!

 

 

昭和三二年。長崎市の合同市場。夜な夜な自作の詩集を売る女性がいる。夜の女たちから疎まれている忍(黒谷友香)の唯一の友人は市場の二階で春をひさぐ鹿(高島礼子)である。首に包帯を巻いた鹿は、どんな男も分け隔てなく抱きしめ癒やす娼婦である。今日も今日とて忍にからんできた老人多良尾(寺田農)を、忍から引き剥がすようにして二階に連れこみ、満足させてやる。事情通の多良尾は、原爆で廃墟となった浦上天主堂がアメリカへの配慮でいずれ片付けられるだろうと告げ、鹿は強くそれに反発する。

鹿は実は坂本病院で働く看護師であった。昼間の病院ではいきなりおっぱいを揉んでくる原爆症患者が明日をも知れぬ命だと知るとじかにおっぱいを揉ませてやる聖母ぶりを発揮。もちろん首に包帯を巻いていることからわかるように彼女自身も被爆者であり、みずから苦界に身を落として原爆の無辜な犠牲者たちを救おうとしているのだ……というジェンダー観にいろいろ言いたい人もあるかもしれないが、もともとが昭和三十四年発表の戯曲が原作ということで、そういう面では仕方ない部分もある。それにしても二一世紀の映画とは思えぬジェンダー観の古さは松村映画ならではか。

忍は夜の女たちにショバ荒らしと責められ、髪を切られてしまう(なんでこんなことになるのかと思っていたんだが、原作戯曲では詩集を売るだけではなく、もっときわどいことをやっている設定らしい)。それを見て悲しんだ原爆症患者の植字工(村田雄浩)に、「長崎に雪が降る日が来たら浦上天主堂で……」とさらに思わせぶりなことを言って別れる。実は忍には朝鮮引揚者の夫(田辺誠一)がいた。彼は白血病をわずらっていたが、差別を恐れて原爆症であることをかたくなに認めようとしないのだ。

……そんなかたちで点描のようにそれぞれのキャラクターの姿が徐々に明かされていく。いかにも戯曲的な構成で、物語の推進力はあまりない。物語的なサプライズと言えるのは、実は鹿が原爆で打ち砕かれたマリア像の破片をひそかに天主堂跡地から運び出し、再生させて新たな安住の地を作ろうとしているという件くらい。もうひとつは合同市場を仕切る顔役、白スーツを着たヤクザ次五郎(金児憲史)の存在である。

 

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