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【大府高校のかつての名将が大学野球の監督へ】名古屋学院大学 馬場茂 新監督インタビュー

愛知大学リーグでこの春、新監督が複数誕生しました。今回はその中のお一人、名古屋学院大の馬場茂監督のインタビュー記事をお送りします。大府高校の監督時代、“名将”として全国的にも有名だった馬場監督。いったいどんな経緯で、名古屋学院大のユニフォームに袖を通したのでしょうか。新天地での胸の内をたっぷり伺いました。

※馬場茂監督プロフィール

大府高校の選手時代、捕手として槇原寛己さん(元巨人)とバッテリーを組み、1980年夏と1981年春に甲子園へ出場。主将も任されていました。進学した筑波大でも4年時に主将を務めています。大学卒業後、大府高校の教員となり、1986年から2007年まで野球部の監督として母校を指導。90年代には3年連続選抜出場を成し遂げました。
その後、県教育委員会へ異動してスポーツ事業の振興に従事。大府高校の教頭として教育の現場に戻ってからは、豊富な経験を学校運営で活かし、西尾東高校、大府高校の校長を歴任されました。
定年となったこの春、教員生活に区切りをつけ、名古屋学院大の監督として再びグラウンドに立っています。

〇名古屋学院大の監督就任「ときめく仕事」

馬場監督は、愛知県の高校野球ファンなら誰もが知る存在。どういう経緯で、名古屋学院大の監督になったのでしょうか。
「名古屋学院大の関係者で自分と同じ筑波大学の同窓生がいまして、会合などでよく顔を合わせました。2、3年くらい前から、『うちで監督をやらないか』というようなことを言われまして。最初は冗談かと思っていたので真に受けてなかったのですが、毎回のように言われるし、いよいよ自分も60歳が近づいてきて、次の人生も考えはじめて・・・」。

定年に際し、他にもいろいろとお誘いはあったようですが「最終的には、名古屋学院大で監督をやろうと決心しました。たった一度の自分の人生なので、一番ときめく仕事がしたい。それが野球の監督という仕事でした。声がかからなければ、やりたくても出来ません。自分は元プロ野球選手でもないし、社会人野球の経験もないですけど、教員としての自分を評価してくださったとも聞いているので、自分の持ち味を活かしてやっていきたいなと思っています」。

周囲の方や教え子たちの反応も「ほとんどみんな、喜んでくれました。中には、もっと他に目立つ仕事もあるんじゃないのか?と意外に思われた方もいましたが・・・。名古屋学院大が自分という人間を選んでくれたので、その期待にも応えたいですね」と口調は熱を帯びます。

4月6日、7日のリーグ戦開幕カードは、名古屋工業大に連勝スタート。久しぶりの野球の采配に「幸せだな、と思いました。ヒリヒリとした勝負の世界にやっと戻ってきたなと感じました」としみじみとしたご様子でした。

高校野球では見られない、審判に直接交代を告げる馬場監督(ご本人提供)

〇野球の“現場”への思いと、初めての大学野球指導

実は馬場監督、教頭や校長になってグラウンドを離れている間も、いつか野球の現場に戻ったら・・・という思いは常にあったそうです。

「異動で高校球界を離れたとき、まだまだ自分としては志半ばでした。それに校長として、西尾東の寺澤康明監督(当時)や大府の中嶋勇喜監督たちのやり方を見ていると、『こういうやり方もあるのか』という気づきもありました。結構のびのびとやらせていたんです。気持ち良くスイングをして、大事な試合でも力を発揮する。こういうのが大事なんだなと感じましたね」。

「昔の成功体験のままやろうとすると失敗しちゃうと思うんで。昔は昔として、管理職になって学んだことを今後に生かそうと思っています。年をとると筋肉以上に頭が固くなるので、学び続けないと人に教えられないと感じています」。

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