泉鏡花の随筆「銭湯」と男女混浴禁止令[銭湯百景 1](松沢呉一) -2,478文字-
銭湯のことはメルマガでやっているため、「ビバノンライフ」というタイトルなのに、こっちでは風呂のことは書かない方針ですが、今回は特別編。風呂自体というよりも、銭湯のルールについてです。
今度、「ろくでなし子シリーズ」で、「わいせつとは何か」を論じていく予定なのですが、どっからどうしたもんか考えあぐねているところです。私の中ではわいせつを考える上で、「混浴」がひとつのキーワードになってまして、その前提になる「混浴禁止」をざっと先に説明しておきます。今回と次回の2回で終了予定です。
一世紀前に泉鏡花が書いた随筆「銭湯」を読む
泉鏡花の随筆集『桜草』の中に「銭湯」という一文があります(下の書影をクリックすると読めます。一番最後に掲載されてます)。
銭湯でお父さんが息子を風呂に入れる様子を描いたもので、どってことのない文章なのですが、時代を経ると、どってことのない文章でも読み取れる発見があるってもんです。
都内の銭湯は正月に朝湯をやっていて、今年は私も朝から行きましたけど、これがホントに気持ちいいんですよ。正月以外に朝湯をやっている銭湯は数少ないのが残念ですが、この「銭湯」は朝の銭湯風景を描いたものです。おそらく当時は朝湯をやっている銭湯が多かったのでしょう。
なお、韓国の銭湯は朝からやっているところが多く、その代わり、終わるのが早いそうです。韓国の銭湯もどんどん潰れているので、一度行っておきたい。
タオルの使い方が時代によって変化していくことについて以前原稿を書いていて、タオルが広く浸透するようになるのはもっとあとだと思っていたのですが、大正2年に出されたこの本にも、タオルが登場しており、風呂ではタオルと手拭いを併用していたようです。おそらく今より高価なものだったとは思いますが、その程度には浸透していたのですね。
そのタオルや手拭いを浴槽に浸ける描写があり、今はルール違反です。今なおやっている人もいますけど、タオルについた垢や石鹸で湯が汚れます。
そして、この一文においては、湯温をめぐる駆け引きが読みどころです。これは今も続く大変難しい問題です。熱すぎるからと言って水で埋めると、他の客が「ぬるい」と文句を言う。熱い湯が好きな私もそう言います。とくに冬場はぬるい湯は厳しい。
ここでも江戸っ子は熱い湯が好きであることが描かれていますが、今も下町の方が湯は熱い。スーパー銭湯の類は湯がぬるくていけねえ。
しかし、ぬるい湯に長時間入るのが好きな人もいますから、話し合いでは解決しない。
銭湯の経営者としても、何度に設定するのかは頭を悩ませるところです。複数の浴槽がある場合は温度を変えるのが定石であり、今はそれぞれの浴槽の湯温をコンピュータ管理している銭湯も増えてきていますが、古い設備だと、そういう細かな調整ができないこともあります。
男女混浴禁止についての近代法制史
泉鏡花「銭湯」には揚場(脱衣場)から子どもの様子を見守り、時に声をかけるお母さんも登場します。病気を患っているので自分では風呂に入れず、父親が風呂に入れることになり、その様子が心配で見ているわけです。
彼女は白い襟を「厭味に出して」という描写があり、泉鏡花は彼女にいい印象を抱いていないようです。
「明治に残る江戸の色彩・・・ロバート・F・ブルームの絵を読む」で確認したように、明治まで、あるいはそれ以降も、女たちは柄つき、色つきの襟を見せていたものです。
ここで泉鏡花が「白い襟」を強調しているのは、朝から化粧をしている彼女の気取った様を描いているのだと思われます。つまり、白い襟は格式張った時のものであったのでしょう。
柄つき、色つきの襟はオシャレなだけではなく、おそらく汚れを隠すためでもあって、泉鏡花としては「銭湯に白い襟を着てくるなよ」って気持ちだったろうと思います。
「おばちゃん」と言うにはまだ若い母親が男湯の脱衣場に入って洗い場を覗き込み、時に洗い場に声をかけていることに対して泉鏡花は、もしこれが逆で、男が女湯の脱衣場にいたら、「時節柄、早速その筋から御沙汰がある」と書いています。この一昔前、二昔前であったら、それさえもさして問題にはならなかったことを想像させます。
これは法律によるところが大きい。
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