「もうやめたい」と銭湯のおばあちゃんは溜め息をつきながらも銭湯をやめない理由—新・銭湯百景[1]-(松沢呉一)
旧・銭湯百景はパクリ職人・勝海麻衣とともに終わらせたので、「新」をつけました。カテゴリーは今までと同じ「銭湯百景」で。
銭湯の話を読む人はあんまりおらず、今もアクセスがあるのはハッテン銭湯と陰毛がからむ銭湯の話くらい。陰毛がからむ銭湯ってイヤですね。新・銭湯百景でも、私が気になった銭湯のことをたまに書いていくだけですが、今回は「猫町倶楽部初体験」シリーズとも少し関わっている話。
公開することを前提にばあちゃんは話していないし、その時点で私も公開しようと思っておらず、金の話までしてくれているので、屋号は伏せます。写真は大田区や大阪の銭湯も混じっていて、舞台になった銭湯とは関係ありません。
葛飾区の銭湯にて
都内の銭湯巡りはいよいよ最終コーナーを回ったところです。どうしても葛飾区には足が向きにくくて、銭湯の数が多いわけでもないのに、もっとも残ってしまっていたため、このところ、葛飾区を重点的に攻めてます。だんだん京成線にも町にも馴染んできて、以前ほどは遠い感じがなくなってきています。
数日前にも、葛飾区の銭湯に行きました。ここは10時半までです。どちらかと言えば東京の東側は閉店時間が早い傾向があります。客の高年齢化が進んでいて、遅い時間に客が来ないためです。
10時までに入れば間に合います。着いたのは9時40分くらいだったかな。
客が3人いたのですが、私と入れ違いで出ていって、新規では誰も来ず、すぐに一人になりました。「この湯は全部ワシのもんじゃ」とリッチな気分でチンコの皮を伸ばしていたのですが、脱衣場の明かりが消えました。時計を見たらまだ10時です。客の受付は終了したらしい。
催促されているみたいで、急いでヤスリで踵を削りました。数年前にひどいひび割れになったことがあって、歩けないくらいに痛い。人から教えられて保湿クリームをつけていたのですが、踵が厚くなると割れるので、だったら削ればいいというので、軽石で削るようになりました。軽石の難点は、垢が隙間に溜まって臭くなることと割れることです。
そこで100円ショップで、踵削り用のヤスリを見つけて使ってみたら、なかなかいい案配です。ヤスリもいくつか種類があって、私が愛用しているのは大根おろしのような金属製のものです。力を入れ過ぎて折れることがあるのですが、100円ショップでも売られていないことが多いので、見つけると予備用に買うようにしています。
この銭湯には「カミソリで踵を削らないでください。洗い場が血で汚れます」と書いた貼紙が出てました。カミソリじゃなくて、ヤスリがいいと教えてあげたい。
お客さんは全員どこの誰か言えますよ
洗い場を出たら、おばあちゃんが脱衣場にいて、電気をつけてくれました。
「もう誰もいないかと思ったのよ」
私はタオルで体を拭きながら、こう聞きました。
「この時間はもうお客さんは来ないんですか」
「来ない来ない。お客さんは早い時間しか来ない。夕飯の前までは混むんだけど、夕飯を食べてテレビを見て寝る人たちが多いので、暗くなるとちょっとしか来ない」
「前は11時までやっていたんですけど、その時間になると誰も来ないので、10時半に早めて、それでも10時過ぎると誰もいなくなるので、最近は10時までには終わることが多いんですよ」
「若い人は来ないですか」
「来ないですね。ここは周りが住宅ばかりでしょ。お店があれば人通りもあるでしょうけど、この時間になると、誰も歩いていなくて遅い時間は怖いんですよ」
最寄り駅から10分とは離れていないのですが、コンビニさえ見当たらないような住宅街で、たしかに私が来た時もほとんど人とすれ違いませんでした。しかも、街灯が暗いのです。
商店街や工場があれば仕事のあとでひと風呂浴びていく人たちがいるものですし、大きな大学があれば体育会系の学生が練習のあと皆で寄って行くってものですが、どれもこれもない。
「この辺はお風呂のない家が多かったんですけど、建て替えられて、みんなお風呂がついているでしょ。どんどんお客さんが来なくなりました」
「でも、オレみたいにいろんな銭湯に回っている人が来ないですか?」
「たまに見かけない人が来ますけどね。あとはどこの誰か全部言えますよ。
駅の近くに他の銭湯もありますし、10分ほど歩くとスーパー銭湯もありますので、「たまに銭湯に行く」という人たちはそちらに行くんじゃなかろうか。
早くやめたい
ふだんは常連さんだけですから、だいたい決まりきった話をするだけなのでしょう。おばあちゃんは私に興味をもったみたいです。
「都内を全部回るって大変な趣味ねえ」
「まあ、そうですけど、いろんなところに行くのは楽しいですよ」
「お金もかかるでしょう」
「交通費だけで往復千円以上かかることもありますけど、他の趣味に比べれば安いもんですよ」
服を着終えて、ジャケットもマフラーもして、そろそろ帰るかと思ったのですが、おばあちゃんの話は止まりません。
「私は83歳なんですけど、こんな歳までこの仕事をやると思わなかったですよ。転んで肋骨を折ったので、歩くのもしんどくて、それでも〆だけはやっているんですけどね。今は掃除は娘がやってくれているので、私は受付だけやっていて」
洗い場では娘さんが湯を壁に大胆にかけて掃除をしています。私がここに着いた時に受付にいたのは娘婿のようです。
おじいちゃんは87歳で、やはり体が悪くて今はほとんど仕事には出てないそうです。
「早くやめたいですよ。こんな歳になるまで仕事をしているなんて思ってもいませんでしたよ」
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