情報の経年劣化-『親なるもの 断崖』はポルノである 11-(松沢呉一) -2,356文字-
「漫画のレベルに合致した解説-『親なるもの 断崖』はポルノである 10」の続きです。
役に立つ資料、立たない資料の見極めを
『ものいわぬ娼妓たち』のように、遊廓がなくなって何十年もしてから、伝聞を拾い集めて何がわかりましょうか。
仮に今ソープランドが禁止されて、四十年後に、ソープランドのことをよく知りもしない人たちの証言を集めたら、どんな代物になるでしょうね。
「阪神大震災では神戸のソープランドで逃げられないように閉じ込められて多数の死者が出たらしい」だの、「HIVや梅毒に感染すると、隠し部屋に入れられて、死ぬまで働かされたらしい」だの、「十一歳の少女が働かされて、逃げようとするとリンチされていたらしい」だのと証言する人たちが出てくるわけですよ。
こんなもので、正しい歴史を知ることができるはずがない。わかるのは、いかに伝聞、うわさ話がいい加減かということだけ。
経年劣化するだけではなく、今現在のソープランドについて、「ヤクザにシャブを打たれて無理矢理働かされて、二十四時間監禁されている」なんて本気で思っている人たちが現にいます。キャバクラに行くのは買春だと思っている人たちがやらかした馬鹿げた調査報告書もあったように、これだけ情報がある時代に、キャバクラがなんなのかさえわかっていない情弱たちが現にいるんですよ。それにしても、こんなことは人に聞けばわかると思うし、間接的であれ税金を投下する調査なのですから、そうするのが責務だと思うんですけど、キャバクラが何なのか知っている友だちもいないのかな。
正確なことを語れる人は、経営者や男子従業員、女子従業員、取材して回っているライター、客の中の「通」と言われる人たちです。あとは行政や警察。その人たちだって全体像をわかっているとは限らないわけで、実際に見たこと聞いたこと、体験したことしか信用はできないってものです。うわさ話はいくら積み重ねても役に立たないのです。
※松戸に行った時に撮った角海老の写真
リアルタイムであっても正確に語れるとは限らない
遊廓についてもまったく同じ。
もうずいぶん前のことになりますが、埼玉で取材した時のこと。戦中、兄だったか弟だったかが召集されて戦死したと語る老人がいまして、「戦地に赴く前に地元の遊廓に行ったのがせめてもの救いだった」という話をしてくれました。童貞で死んだのではないのだと。
埼玉県ではとっくに廃娼を実現していたにもかかわらず、この老人は「遊廓」と言ってました。記憶違いではなくて、その当時から、乙種料理店なんて誰も言わないし、公娼と私娼の区別がついていなかったのです。
これは戦後でも同じ。新宿二丁目は赤線と青線が混在している街でしたが、客たちもその区別がついていなかったという話が当時の雑誌に出ていました。赤や青の線が地面に引かれていたわけではないですからね。
遊廓の取材は私も何度かしてますが、信用できるのは、遊廓の関係者です。経営者だったり、遊廓の中で商売をしていた人たちだったり。もちろん、上の老人のように、親族が行ったという事実はその範囲で信用できますし、自身が客として行った話はその範囲で信用はできますが、この場合でも、「遊廓」と言われて、「公娼があったのか」と思い込まないくらいの知識は必要でしょう。
※これは常磐線から見えるように設置されたネオンで、ここにソープランドがあるわけではありません。これだけだと、宝石店の宣伝かもしれないし、ボクシングジムの宣伝かもしれないし。
斎藤真一の場合
これはとくに私だけの特別の感覚ではなくて、遊廓のことを知ろうとするなら、リアルタイムに出た本や雑誌を中心に、数十という単位の資料に目を通すしかない。数をこなせばいいということではなく、知りたいことを知ろうとする結果、そうなる。
たとえば手元にある斎藤真一著『明治吉原細見記』(河出書房新社/1985)を見たところ、参考文献として89冊挙げられています。昭和のものは13冊で、あとはすべて大正以前のものです。この本は明治の遊廓がテーマですから、こうなるのが当たり前。
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